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大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)5021号 判決 1974年4月19日

原告

早水花江

外五名

右原告ら訴訟代理人

福岡福一

外二名

被告

竹安桂一郎

被告

株式会社小谷工務店

右代表者

小谷省三

右訴訟代理人

段林作太郎

被告

兵庫県

右代表者

坂井時忠

右訴訟代理人

高芝茂

外二名

主文

一、被告竹安桂一郎、同兵庫県は各自

1  原告早水花江に対し六九九万八、一六六円およびそのうち一七万七、八五五円について昭和四六年一二月一日から、その余の金員について被告竹安桂一郎は昭和四二年九月二五日、被告兵庫県は同月二四日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を、

2  原告早水典孝に対し七五四万九、五四二円およびそのうち八、九二〇円について昭和四六年一二月一日から、その余の金員について被告竹安桂一郎は昭和四二年九月二五日、被告兵庫県は同月二四日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を、

3  原告郡償次郎に対し三五三万九、七〇〇円およびこれに対する昭和四二年一二月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、

4  原告北園隆一に対し四五九万九、〇〇〇円およびこれに対する昭和四二年一二月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告竹安桂一郎は

1  原告金子悠基男に対し二四六万四、〇〇〇円およびこれに対する昭和四二年一二月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、

2  原告安福信男に対し二五三万六、〇〇〇円およびこれに対する昭和四二年一二月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らの被告竹安桂一郎に対するその余の請求、原告早水花江、同早水典孝、同郡償次郎、同北園隆一の被告兵庫県に対するその余の請求、原告金子悠基男、同安福信男の被告兵庫県に対する請求、原告らの被告株式会社小谷工務店に対する請求はいずれも棄却する。

四  訴訟費用は

1  原告らと被告竹安桂一郎との間においては原告ら各自に生じた費用の各四分の一を被告竹安桂一郎の負担とし、その余を各自の負担し、

2  原告早水花江、同早水典孝、同郡償次郎、同北園隆一と被告兵庫県との間においては右原告ら各自に生じた費用の各四分の一を被告兵庫県の負担とし、その余を各自の負担とし、

3  原告金子悠基男、同安福信雄と被告兵庫県との間においては被告兵庫県に生じた費用の二分の一を右原告らの負担とし、その余を各自の負担とし、

4  原告らと被告株式会社小谷工務店との間においては全部原告らの連帯負担とする。

五  この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

但し被告兵庫県において原告早水花江、同早水典孝に対し各二五〇万円、原告郡償次郎、同北園隆一に対し各一五〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

(原告ら)

一、被告らは各自

1 原告早水花江に対し一、四四三万二、七七三円および内金一、四二五万四、九一八円について被告竹安桂一郎は昭和四四二年九月二五日、その余の被告らは同月二四日から、内金一七万七、八五五円について昭和四六年一二月一日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を

2 原告早水典孝に対し一、〇四一万八、七五六円および内金一、〇四〇万九、八三六円について被告竹安桂一郎は昭和四二年九月二五日、その余の被告らは同月二四日から、内金八、九二〇円について昭和四六年一二月一日から各完済に至るまで右同率の金員を

3 原告郡償次郎に対し五〇〇万九、七〇〇円およびこれに対する昭和四二年一二月七日から完済に至るまで右同率の金員を

4 原告金子悠基男に対し三九三万円およびこれに対する右同日から完済に至るまで右同率の金員を

5 原告安福信雄に対し三四〇万円およびこれに対する右同日から完済に至るまで右同率の金員を

6 原告北園隆一に対し五五四万七、〇〇〇円およびこれに対する昭和四二年一二月七日から完済に至るまで右同率の金員を支払え。

二、訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言

(被告ら)

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

(被告兵庫県)

仮執行の宣言が付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二  当事者の主張

(請求原因)

一、事故の発生とその原因

1 訴外早水重雄は昭和三〇年六月頃西宮市五月ケ丘一八番地の二に家屋を建築し、爾来妻である原告早水花江、両名の子である原告早水典孝、訴外早水紅美子、同紀美子、同栄美子と共に居住していたものであり、原告郡償次郎は昭和二九年一二月頃同所一九番地の三に、原告金子悠基男は昭和三九年一二月頃同所一八番地の九に、原告安福信男は昭和四一年七月頃同所一八番地の一〇に、原告北園隆一は昭和三八年七月頃同所一九番地の七にそれぞれ家屋を建築のうえ、居住していたものである。

そして右家屋五戸の敷地の位置関係は別紙図面(一)のとおりであり、早水重雄および原告郡の各家屋の敷地(以下下部住宅地という)は原告金子、同安福、同北園の各家屋の敷地(以下上部住宅地という)よりも九メートル余り低い位置に在り、両住宅地の間には崖崩れ等防止のため同図面(一)(二)のように擁壁が構築されていた。

2 ところが昭和四二年七月九日(日曜日)近畿地方一帯に集中豪雨があり、同日午後八時頃前記擁壁が長さ約一六メートルに亘つて崩壊し、右擁壁に支えられていた上部住宅地の土砂が一団となつて下部住宅地の上に崩れ落ち、そのため下部住宅地上の家屋はいずれも倒壊し、上部住宅地上の家屋は宙吊りとなり、原告らは三に記すとおりの損害を豪つた。

3 上部および下部住宅地はもと丘陵山林地帯であつた土地を段階状に造成したものであつて、前記擁壁は上部住宅造成の際その土砂崩れを防ぐため昭和三八年三月頃被告竹安によつて構築されたものである。そして右擁壁は別紙図面(二)のとおり上部が石積、下部がコンクリートで造られ、その中間に道路が設けられているが、そのコンクリート擁壁は右両住宅地の高低の差からみて、底部の厚さが二メートル以上なければ崩壊の危険があるのに、僅か五〇センチメートル程度しかなく、また工事が杜撰で昭和四〇年九月頃には前記崩壊部分の全面にわたつて亀裂が生じていたのに補修措置が講ぜられなかつた。そのため前記豪雨がもたらしたコンクリート擁壁背面の浸透水の水圧によつてコンクリート擁壁が倒壊し、これに伴い石積壁も崩壊したのである。

二、被告らの責任原因

1 被告竹安の責任

被告竹安は家屋建築、宅地造成等の請負施行を業とするものであり、前叙のとおり上部住宅地の造成並びに擁壁の設置工事を施行した。

右工事は宅地造成――等規制法(以下宅造法という)に基く宅地造成工事規制区域内にあつたのであるから、工事施行者は宅造法施行令(昭和三七年政令一六号)所定の技術的基準に従つた擁壁を設置する義務があり(同法九条)、具体的には、同施行令別表第四に、擁壁の高さが四ないし五メートルの場合には少なくともその勾配は六五度、石材その他の組積材の厚さは四〇センチメートル、押込コンクリートの厚さは上端で三〇センチメートル、下端で八〇センチメートルなければならぬ旨規定されており、本件擁壁はコンクリート擁壁の高さだけで6.3メートルもあつて、更にその上方には高さ約三メートルの石積擁壁もあつたのであるから、本件コンクリート擁壁の下端部分の厚さは安全上少なくとも二メートル以上あることが必要であつた。仮に右擁壁工事について宅造法所定の基準が適用されないとしても、上部住宅地と下部住宅地の高低の差からみて、コンクリート擁壁は下部の厚さが右の程度なければ、崩壊の危険があつた。しかも被告竹安は工事中兵庫県知事から改善勧告を受け、高さを五メートル、底部の厚さを二メートル、頂部の厚さを二〇センチメートルに改善する計画を提出したのであるから、被告竹安としては、少くも右改善計画に即した擁壁を設置して、災害を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたというべきである。しかるに被告竹安はこれを実行せず、前記の如き構造の擁壁を、しかも短時日のうちに亀裂の生ずるような杜撰な方法で、築造したものであるから、同被告には重大な過失があつたというべきである、

2 被告株式会社小谷工務店(以下被告小谷という)の責任

(一) 民法七一七条に基く責任

(1) 上部および下部住宅地を含む西宮市五月ケ丘、八番地、一九番地はもと丘陵、山林地帯であつて、被告小谷の所有であつた。

(2) そして被告小谷は昭和二九年三月頃下部住宅地の造成に着手し、同年六月頃完成し同所一八番地の二宅地一一九平方メートル(三六坪)を早水重雄に、同所一九番地の三宅地138.84平方メートル(四二坪)(但し実測では178.51平方メートル(五四坪))を原告郡に譲渡した。

(3) 次いで被告小谷は上部住宅地をも造成することとし、昭和三七年六月末日頃被告竹安に右造成工事を請負わせ、昭和三八年三月頃上部住宅地が造成され、前記擁壁も完成し、コンクリート擁壁は被告小谷の土地に附合して同被告の所有に帰したのである。かくして被告小谷はその頃被告竹安から右住宅地および擁壁の引渡を受けた。

(4) そして被告小谷は上部住宅地を適宜分筆のうえ、昭和三九年五月二日原告金子に同所一八番地の九山林82.64平方メートル(二五歩)を、原告安福に同所一八番地の一〇同地目地積を、昭和三九年一二月二五日原告北園に同所一九番地の七、山林168.59平方メートル(一畝二一歩)をそれぞれ売却したが、その際コンクリート擁壁の敷地およびその東側道路部分は除外し、これを自己に保留した。

(5) 被告小谷は前叙のとおり本件コンクリート擁壁を設置して所有し、かつ、占有するものであるところ、本件事故は、右擁壁に上記のとおり設置当初から崩壊の危険性ある瑕疵があり、しかその危険性が日時の経過とともに増大したにも拘らず同被告において何ら補強の措置をとらなかつたため生じたものであるから、民法七一七条一項の責任を免れない。

(二) 民法七〇九条に基く責任

(1) 被告小谷は上部および下部住宅地を所有し、上部住宅造成工事を土木建築工事の請負施行業者である被告竹安に請負わせた造成主であるが、被告小谷自身土地造成業者でもあり、宅地造成関係諸法規を熟知していたから、工事施行者と同様自ら宅地造成に伴う災害を防止するため必要な措置を講ずるか、注文者として工事施行者である被告竹安に対し右措置を講ずるよう指揮し、工事完了後はその瑕疵の有無を確認して検収すべき作為義務があり、そのいずれの処置もとらなかつたことが本件事故を招来したのであり、またその義務を怠つたまま上部住宅地を一般に売出すときは本件のような事故が発生するであろうことも充分予期し得たから、被告小谷には過失がある。

(2) 仮りに被告小谷、同竹安間に請負契約が存在せず、また注文者に前記の如き指揮権限がないとしても、被告竹安は自己の仕事の約三分の二を被告小谷から得ていたのであつて、被告小谷の下請或は従業員のような地位にあつたのであり、かつ、上部住宅地に当る部分については昭和三七年五月一一日および同年一二月二二日被告小谷と売買予約を結んだが、コンクリート擁壁および、その東側道路の敷地部分については、売買予約すら結ばず、従つて被告竹安としては、本件コンクリート擁壁の敷地を所有せず、またこれを取得する意思も有しないで、右擁壁築造上工事をしていたものであり、これら事情からみて、本件コンクリート擁壁築造工事は、その敷地所有者たる被告小谷の意思に基き、同被告に従属している被告竹安によつて施行されたのであるから、被告小谷は施行者と同様叙上の防災措置を講ずべき義務を負うものというべきである。

3 被告県の責任

被告県は知事を長とする普通地方公共団体であつて、住民の安全、健康および福祉を保持し、防災等の事務を処理するものであり、知事は右事務を処理するにつき宅造法、建築基準法等に基き災害防止上必要な措置をとる権限を有するのに、次に述べるように、権限の行使を著しく怠り、その結果本件事故が発生したのであり、かつその権限を行使しないときは本件事故が発生するであろうことを予知できたから、被告県は国家賠償法一条により損害賠償の責任を負うべきである。

(一) 宅造法に基く責任

(1) 本件擁壁築造工事については以上記述の理由により兵庫県知事の許可を受けなければならない。

(ア) 上部住宅地および本件擁壁部分が宅造法に基く規制区域に指定されたのは、昭和三七年六月六日である。そして被告竹安が本件擁壁の設置工事に着手したのは、その後の同月末日頃であつたから、右工事については、同法八条に基き兵庫県知事の許可を受けなければならなかつたわけである。

(イ) 仮に右工事の着工時期が同年六月六日より前であつたとしても、被告小谷は同法一四条所定の届出期間である昭和三七年六月二八日までに所定の届出をしていない。このように届出期間内に届出のない場合には、既に着手している工事も右期間経過後はこれを続行すすることができず、続行するについては原則にかえつてその工事の許可を受くべきものである。

(ウ) 以上の主張が認められないとしても、上部住宅地および石積擁壁工事は、その着工が、同年六月六日以後であるから、許可を要し、また同工事とコンクリート擁壁とは、切り土、盛り土並びに石積擁壁設置に伴い下部のコンクリート擁壁の蒙る耐圧性の点などで、密接な関連を有するから、上部住宅地および、石積擁壁工事着手と同時に、コンクリート擁壁工事自体も新たに許可を要することになつたというべきである。

(2) 上記のように本件コンクリート擁壁設置工事が宅造法所定の許可対象である以上、兵庫県知事には以下の如き宅造法一二、一三、一五、一六条並びに行政代執行法上の各措置をとるべき義務があり、かつ、その措置を怠るときは本件事故が招来されることも充分予期し得たに拘らず、兵庫県知事は、本件事故を惹起せしめたものであるから、被告県は、その責任を免れない。

(ア) 被告県の職員五味邦一は昭和三七年六月七日頃本件擁壁工事の現場を発見したが、その際同工事が同法八条違背の無許可工事であることに気付き得た筈であり、しかもまだ基礎工事の段階であつたのであるから、同法一三条により兵庫県知事は工事工事施行者である被告竹安に対し同工事の施行の停止を命ずべき義務があつた。

(イ) 被告県の職員丸尾寛は昭和三七年六月二〇日現場調査の際、たとえ当時未だ被告竹安から工事届出書、設計図等の提出がなく、また、工事進捗状態も擁壁の高さ二メートル程度のものであつたにせよ、現場の状況、資材の配置等から、その工事が山の上部を切り崩し、下部に強固な擁壁を築造する内容のもので、水抜穴、鉄筋等の設置が必要であること、しかるに右工事にはかかる配慮のなされていないことに当然気付くべきであり、従つて兵庫県知事はその段階において、同法九条、一三条に基き同擁壁の設置工事の施行停止、補強域は除去等災害防止上必要な措置を命ずべき義務があつた

(ウ) 被告県の宅地保全係員は昭和二七年七月一七日現地調査の際、本件コンクリート擁壁のうちB擁壁か高さ四メートルまでになつており、その底部の厚みが不足し、コンクリートの混合比が不良で、水抜穴もないなど、同法九条に基き定められた技術的基準に違背し、崖崩れの危険があることを発見したのであるから、たとえ背後に盛土があり、B擁壁下に原告早水宅があつたにせよ、同原告および原告郡宅裏の空地部分を利用すれば補修工事は可能であるし、当時は未台風シーズンでもなかつたのであるかだら、兵庫県知事は、同法一三条に基き、擁壁の除去命令を発することまではともかく、B擁壁に水抜穴を設置し、底部の厚さを増し、コンクリートの調合を充分に行い、かつ鉄筋を入れる補強工事をなすことを命ずべき義務があつた。しかるに兵庫県知事は、B擁壁に水抜穴を作り、その高さを四メートルにとどめ、その上に五〇センチメートルのパラペット(土止め)を設置して芝生斜面にするように命じ、またその上部の土地に建物を建築することを禁止したに過ぎない。

(エ) 被告県の職員は、昭和三七年八月一七日現地調査の際、B擁壁が高さ四メートルまで完成し、その上に法四〇度位で筋芝が張られ、編柵が施されてあつたが、前示指示のパラペットと水抜穴とは未だ施行されておらず、徒つて土砂流出の危険が予想される状態であることを知つたのであるから、兵庫県知事は右の点に関し同法一五、一六条に基く補強を土地所有者である被告小谷、同占有者である被告竹安に両度指示勧告すべき義務があつた。

(オ) 被告県の職員は昭和三七年一一月八、二八日の現地調査の際、B擁壁に前記指示のパラペットが設置されておらず、反つて指示に違背して上部住宅地の造成並びに同宅地を支えるための石積擁壁の設置工事が進められていたのであるから、当然これにより下部住宅保護のためのB擁壁が耐圧性耐久性の面で大きな影響を受けることも充分に予想された筈であり、従つて同時点において兵庫県知事は同法一三条に基き被告竹安に対しB擁壁の規模強度につき改善を命ずるなど相応の対策を講ずべき義務があつた。しかるに兵庫県知事は同年一一月二八日付で擁壁の改造および災害防止上の必要措置を講ずべき旨の勧告書を被告竹安に交付したにとどまつた。

(カ) 被告県の職員は昭和三八年二月二二日一応完成したB擁壁を検査した際、現状のままでは崖崩れの危険防止上不充分であり、同擁壁の前に新たにもう一つ鉄筋コンクリート擁壁を重ねて築造する必要性のあることに気付いたのであるから、その時点で被告小谷又は被告竹安に対し、危険防止に必要な工事内容を具体的に指示してその施行を命じ、かつ、その命令が忠実に履行されているか否かの点についても、充分検査してその安全性を確認すべきであつた。しかるに同職員は被告竹安からコンクリート擁壁の底部の厚さを二メートル、頂部の厚さを二〇センチメートル、高さを五メートルにする旨の改善案の説明を受けたにとどまり、事後の措置を同被告に任せて、同案が実行されたか否かについても検査をせず、同法一二条所定の検査責任を果さななかつた。

(ク) 被告県の職員(西宮土木出張所員)は昭和四〇年半ば頃、原告郡からB擁壁の全面に亘つて、亀裂が生じていることの報告を受けたのであり、放置すれば崖崩れの生ずる危険が顕著であつたから、兵庫県知事は同擁壁の所有者たる被告小谷に対し同法一五、一六条等に基き亀裂の補修工事をなすよう改善命令を発し、同被告がこれを履行しない場合行政代執行法による代執行の措置をとるなどして危険を未然に防止すべき義務があつたのに、これを怠り、単に現場に赴いて写真をとつて帰つたに過ぎない。

(3) 仮に本件擁壁工事につき、宅造法上の許可を要しないとしても、右(2)の(イ)ないし(キ)の措置はその許可を前提としたものではないから、兵庫県知事は宅造法に基き右措置をとるべき義務があつたというべきである。

(二) 施工主的地位に基く条理上の責任

仮に兵庫県知事に宅造法上の検査および監督義務がないとしても、被告県の職員は前記のとおり昭和三七年七月一七日被告竹安に対し築造中のB擁壁の高さを四メートル(コンクリート部分)に止め、その上に0.5メートルのパラペット(土止め)を設けて芝生斜面にすべき旨工事内容を具体的に特定して指示しており、これによつて工事内容の自主的選択権が被告竹安から兵庫県知事に移つたも同様の状態となつたうえに、被告県の職員は昭和三八年二月二八日には、一応完成したB擁壁につき、被告竹安に対し、その前面に新しい鉄筋コンクリート擁壁を重ねて作るように指示を与えているのであつて、これらの事情から判断すると、兵庫県知事は本件擁壁工事につき民間業者に対する一般的後見的な行政指導のわくを出て自己の自主的判断と責任において工事の実現に積極的に関与して来たものと解せられる。このような場合、兵庫県知事は、施行主同様のものと評価され、宅造法所定の監督および検査と同様の措置をとる権限を有すると解すべきであり、従つて前記(一)の(2)の(イ)ないし(キ)の各義務を負うところ、前叙のとおり兵庫県知事はこれらの義務を怠つていたものである。

(三) 建築基準法に基く責任

仮に本件擁壁工事が宅造法上の規制対象とならないとしても、擁壁の高さが二メートルをこえるから、その工事は建築基準法の規制対象となり、また工事施行当時、西宮市に建築主事が置かれていなかつたので、兵庫県知事が、同法の定める特定行政庁としての権限を有し、西宮土木出張所員が現実の事務処理をしていたものである。

従つて被告県の職員は同法に則り以下の如き注意義務があつたのに、これを怠つた。

(1) 被告県の職員五味邦一が昭和三七年六月七日頃本件擁壁工事現場を発見した当時その工事につき同法六条に基く確認申請が未了であつたから、兵庫県知事は、建築主である被告小谷に対しその申請をうながすと共に同法九条に基き確認が済むまで工事の施行を停止させるべきであつた。

(2) 本件コンクリート擁壁は水抜穴の設置がないなど建築基準法、同施行令の定める構造耐力を欠いていたから、兵庫県知事は同法九条に基き前記(一)の(2)の(イ)ないし(キ)と同一内容の措置をとるべき義務があつた。

(3) 兵庫県知事は本件擁壁工事が一応完了した昭和三八年二月二二日当時被告小谷に対し同法所定の完了の届出をさせて建築主事の検査を受けさせ、その欠陥を指摘して補強せしめるべき義務があつた。

三、損害

1 原告早水花江、同早水典孝の損害額について、

(一) 早水重雄、同紅美子、同紀美子、同美栄子は本件事故当日の昭和四二年七月九日崩壊土砂および倒壊家屋の下敷きとなつて死亡した。同人らの蒙つた損害は次のとおりである。

(1) 亡早水重雄の損害一、二七〇万四、七五四円

(ア) 逸失利益 七三〇万七、七五四円

早水重雄は昭和四一年一一月二日株式会社三芝塗装工業所に入社し、死亡するまで同社に勤務していたものであつて、その間の給与は一か月平均六万五、四八二円であり、生活費は右給与額の四割であるから、純収入は月平均三万九、二八九円(年収四七万一、四六八円)である。

そして同人は大正一四年一一月一四日生の男子であり、死亡当時四一歳であつたから、本件事故がなければ六五歳までなお二四年間は稼働し得たものと考えられる。この間の逸失利益を年五分の中間利息を差引いていわゆるホフマン方式により現価に換算すると、就労可能年数二四年の場合の係数15.500を前記年収四七万一、四六八円に乗じ、七三〇万七、七五四円となる。

(イ) 慰藉料 三〇〇万円

本件事故は日曜日の夜の一家団欒の最中発生したもので、早水重雄は土砂および倒壊家屋の下敷となり、妻子(長女紅美子は昭和二八年三月六日生、長男原告典孝は昭和二九年六月二三日生、次女紀美子は昭和三二年七月二日生、三女美栄子は昭和三二年七月二日生)の安否を気づかいつつ、四一才の働き盛りに死亡したものであり、その精神的苦痛を慰藉するには前記金額を以て相当とする。

(ウ) 物的損害 二三九万七、〇〇〇円

(ⅰ) (1)家屋の滅失による損害 一二〇万円

早水重雄は西宮市五月ケ丘一八番地の二地上に木造瓦葺中二階建居宅一棟総床面積84.36平方メートル(25.52坪)を所有していたが、本件事故により、全壊した。同建物は昭和三〇年六月頃一二〇万円の費用で建築されたものであり、その後の建築材料費の高騰と事故当時までの減耗高とは等額とみられるので、全壊時の価格は右と同額である。

(ⅱ) 動産の滅失、毀損による損害 一一九万七、〇〇〇円

同人は前記家屋において別紙動産目録(1)記載の家財道具を所有していたが、本件事故により滅失あるいは使用不能となつた。

(2) 早水紅美子、同紀美子、同美栄子の損害

慰藉料 各二〇〇万円

同人らは早水重雄と同様に土砂、家屋の下敷となり、救出されることなく、夭逝したものであり、多大の肉体的精神的苦痛を受けた。

(二) 原告早水花江は早水重雄の妻として同人の上記損害賠償請求権の三分の一を、原告早水典孝は同人の実子としてその三分の二を相続した。また原告早水花江は早水紅美子、同紀美子、同美栄子の母として同人らの右損害賠償請求権六〇〇万円を相続した。

(三) 原告早水花江自身の損害

(1) 慰藉料 三〇〇万円

同原告は本件事故により三か月の安静加療を要する顔面挫創、左側鎖骨々折、全身打撲傷、右視神経挫滅の傷害を受け、昭和四二年七月九日から同年九月下旬までの間西宮回生病院に入院加療したが、顔面右耳部より右顎、口唇にかけて「し」型の創痕が残り、左足膝蓋部上方に創跡があり、しびれ痛みを感じ、右足首の捻挫は回復せず、歩行困難で、右足膝蓋部から同足首にかけてしびれ痛みを感じ、頭部後方に創跡があり、右肩部、左側腰部かしびれ痛み、右手指の第一、二関の屈曲不能で顔面鼻頭頃部に創跡を残し、右眼は失明し、又頭頂部打撲による脳障害の治癒の見込みはたたない状況であり、大正六年一一月二二日生れの女性である同原告にとつて、かかる容姿となつたことによる精神的苦痛は大なるものがあるうえ、本件事故で頼りとする夫並びに愛する子供三人までも一時に失つたものであるから、その苦痛は測り知れないものがあり、同原告に対する慰藉料は三〇〇万円を以て相当とする。

(2) 治療費 一七万七、八五五円

右傷害により同原告は左記の治療費看護料を支出した。

支払年月日

支払先

支払金額

昭和四二年八月三一日

附添婦

田淵たづえ

三万三、〇八〇円

同四三年六月二六日

藤原歯料医院

二万円

同年七月九日

右同

一万九、五〇〇円

同四四年二月一二日

西宮回生病院

九万九、一九五円

同年同月一九日

兵庫県立西宮病院

二、七九五円

同四六年七月二六日

古沢眼科

三、二八五円

以上合計  一七万七、八五五円

(3) 葬儀費用 三〇万円

同原告は本件事故により死亡した夫並びに子供三名の葬儀を営み、その費用として三〇万円を支出した。

(4) 物的損害(土地の価値喪失による損害) 七二万円

同原告は昭和四二年七月九日夫重雄の死亡により同人所有の前記建物の敷地(西宮市五月ケ丘一八番地の二、宅地一一九平方メートル)につきその持分の三分の一を相続した。右土地は、本件事故で上部住宅地から崩壊して来た土砂と倒壊家屋の残骸に覆われて、現状のままでは住宅地として使用不可能のところ、右土砂並びに倒壊家屋を除去して整地するには事故発生前の右土地の購入代価に等しい程の費用を要するうえ、更に上部住宅地につき残存建物を撤去し土砂を搬入し、新たな擁壁を設置する等して再び崩壊事故の生じないように修復するのでなければ本件土地を従前のように宅地として使用出来ないのであるが、右修復は不可能であるから、結局本件事故により同土地は使用価値、交換価値の全てを失つたことになる。そして本件事故発生前における本件土地の価額は三・三平方メートル当り六万円、総額で二一六万円であるから、同原告としてはその持分三分の一に相当する七二万円の損害を蒙つたことになる。

もつとも右土地について昭和四四年三月原告早水花江、同早水典孝と被告県との間に代金を七二万円とする売買契約が成立し、右原告らはその頃七二万円を受領した。

なお早水重雄死亡当時右土地の価値が失われていたとすれば、同人が右損害賠償債権を取得し、原告早水花江、同早水典孝がこれを相続したことになる。

(四) 原告早水典孝自身の損害

(1) 慰藉料 五〇万円

同原告は事故当時一三歳で最も感じ易い年令において本件事故により、自身一か月の安静加療を要する四肢打撲擦過傷および挫創の傷害を受けたほか、一時に父と姉妹をなくし、また母が重傷を負うという不幸をみたものであつて、その精神的苦痛を慰藉するには五〇万円を以て相当とする。

(2) 治療費 八、九二〇円

同原告は前記傷害により左記の治療費を支出した。

支払年月日

支払先

支払金額

昭和四二年七月一〇日

勝呂病院

一、五五五円

同四四年二月一二日

西宮回生病院

七、三六五円

以上合計  八、九二〇円

(3) 物的損害(土地の価値喪失による損害) 一四四万円

同原告は前記(三)の(4)の敷地につきその持分三分の二を相続したが、同(4)の記載と同一理由により一四四万円の損害を蒙つた。

(五) 以上原告早水両名の損害額を総計すると次のとおりになる。

原告早水花江の分一、四四三万二、七七三円(そのうち一七万七、八五五円は治療費)

原告早水典孝の分一、〇四一万八、七五六円(そのうち八、九二〇円は治療費)

2 原告郡の損害について

(一) 物的損害四七〇万九、七〇〇円

(1) 家屋の滅失による損害 八五万円

原告郡は西宮市五月ケ丘一九番地の三地上に木造瓦葺平家建居宅一棟床面積61.12平方メートル(18.49坪)を所有していたが、本件事故により全壊した。家屋の当時の価額は八五万円を下らぬものであつた。

(2) 土地の価値喪失による損害三二四万円

同原告は前記家屋の敷地である前同番地の宅地178.51平方メートル(五四坪)(但し登記簿上は138.84平方メートル(四二坪))を所有していたが、前記早水花江の損害について記述したところと同一の理由により、右土地の使用価値、交換価値の全てを喪失した。そして本件事故発生前の右土地の時価は三二四万円(3.3平方メートル当り六万円)であるから、右と同額の損害を蒙つたものである。

もつとも右土地について昭和四四年三月原告郡と被告県との間に坪当り二万円で売買する契約が成立し、同原告はその頃八四万円を受領した。

(3) 動産の滅失、毀損による損害 六一万九、七〇〇円

本件事故により前記家屋内にあつた同原告所有の別紙目録(2)記載の家財道具は滅失、或いは全壊して使用不能となつたが、右道具の価額は同目録記載のとおり六一万九、七〇〇円である。

(二) 慰藉料 三〇万円

本件事故は日曜日の一家団欒の夜に発生したもので、突如電燈が消え、騒音とともに落下して来たコンクリート破片、土砂等により自家は瞬時にして倒壊し、同原告はその下敷となり七日間の安静加療を要する左大腿部打撲傷を受けたが、妻および三人の子を誘導して現場を脱出し九死に一生を得たものであり、その後の一時の避難先を求めるうえでの心労等を考えあわせると、同原告の精神的苦痛を慰藉するには三〇万円を以て相当とする。

(三) 以上合計 五〇〇万九、七〇〇円

3 原告金子の損害について

(一) 物的損害 三五三万円

(1) 家屋の宙吊りによる損害 一八〇万円

同原告は西宮市五月ケ丘一八番地の九山林82.64平方メートル(二五歩)を所有していたが、本件事故により、そのうち西側(擁壁側)約半分が崩壊して下部住宅地に流出したため、同地上にある同原告所有の木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建居宅一棟床面積一階18.05平方メートル、二階25.84平方メートルが宙吊りとなつて、下部住宅地上に転落倒壊する危険な状態となり、ロープでつなぎとめている有様で、そのままでは居住の用に供し得ない。これを元の状態に復さすためには右家屋を一旦解体撤去のうえ、流出土砂を回復し新たな擁壁を設置せねばならぬが、右解体撤去費用と解体した材木等の引取価格とは何れも四万八、〇〇〇円と見積られ等額であるから、結局右家屋は経済的には滅失と同視し得べく、事故当時の右家屋の時価は一八〇万円であり、同原告は、これと同額の損害を蒙つたことになる。

(2) 離れの落下、全壊による損害 一八万円

本件事故により右(1)の家屋の傍にあつた同原告所有のプレハブ建築の六畳間の離れがその敷地の土砂の流出とともに下部住宅地上に落下して全壊したが、同建物の本件事故当時の価額は一八万円であつた。

(3) 土地決壊による損害  一五〇万円

本件事故により右(1)(2)の建物の敷地である前記土地は右(1)に記載の通りの状態となつた。これを元の状態に復するためには、新たな擁壁の設置、土の搬入、埋込み、地盛り整地等を要するが、その費用は右と同種、同等、同面積の土地の購入価格を遙かに上廻るものであり、従つて、右土地は本件事故により経済的には滅失したに等しいというべきところ、事故当時の右土地の価額は一五〇万円(3.3平方メートル当り六万円)であつた(なお右土地は保全上多大の費用を要し、原告金子はこれが負担に耐え得ないので、西宮市に対し土地寄付採納願を提出し、昭和四三年一二月二七日付で同市に対し所有権移転登記をなした)。

(4) キヤンパスの設置並びに借用代五万円

同原告は本件事故発生後の昭和四二年七月一二日付で兵庫県知事より土砂の流出防止策を講ずるよう勧告を受けたので、その頃浜名建設工業株式会社に依頼して前記決壊後のむき出しの地肌上をキヤンパスで覆うたが、その際キヤンバス五枚を賃借した。これに要した費用は五万円であつた。

(二) 慰藉料 四〇万円

同原告は本件事故により自己および妻子の生命に危険を感じ、また避難場所の選定や流出土砂等の後片付、残存建物の保全等に心労を費したうえ、一夜にして苦心の末入手した土地、建物を喪失してしまつたもので、その精神的苦痛を慰藉するには四〇万円を相当とする。

(三) 以上合計 三九三万円

4 原告安福の損害つにて

(一) 物的損害 三一〇万円

(1) 家屋の宙吊りによる損害 一六〇万円

同原告は西宮市五月ケ丘一八番地の一〇山林82.64平方メートル(二五歩)を所有していたが、そのうち西側(擁壁側)約半分が崩壊して下部住宅に流出したため、同地上にある同原告所有の木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建居宅一棟床面積一階33.12平方メートル、二階20.70平方メートルが、前記原告金子の家屋について記述したところと同一の状態となり、同様の理由により家屋滅失と同視すべき状況となつた。事故当時の右家屋の価額は一六〇万円であるので、原告安福は同額の損失を蒙つたことになる。

(2) 土地決壊による損害 一五〇万円

本件事故により、同原告所有の各家屋敷地は、前記原告金子の土地につき記述したところと同様喪失と回視すべき状態になった。そして右土地の事故当時における価額は一五〇万円(3.3平方メートル当り六万円)であつたから、原告安福はこれと同額の損害を蒙つたことになる(なお右土地については前記金子と同様西宮市に寄付採納している)。

(二) 慰藉料 三〇万円

原告安福は前記原告金子と同じ事情にあり、その精神的苦痛を慰藉するには三〇万円を以て相当とする。

(三) 以上合計 三四〇万円

5 原告北園の損害について

(一) 物的損害 五二四万七、〇〇〇円

(1) 家屋の宙吊りによる損害一六〇万円

同原告は西宮市五月ケ丘一九番地の七山林168.59平方メートル(一畝二一歩)を所有していたが、そのうち西側(擁壁側)約三分の一が崩壊して下部住宅地に流出したため同地上にあつた同原告所有の木造瓦葺平家建居宅一棟床面積67.33平方メートルが前記原告金子の家屋について記述したところと同一の状態となり、滅失と同じ状況となつた。そして事故当時の右家屋の価額は一六〇万円であつたから、原告北園は右と同額の損害を蒙つたことになる。

(2) 家屋撤去工事費 四八万七、〇〇〇円

右家屋は前述の如く宙吊りとなり、何時倒壊して下方に居住する人達に災害をもたらすかもしれない状況にあり、原告北園は兵庫県知事から昭和四二年七月一二日付で災害防止のための必要措置を早急にとるよう勧告を受けたが、右危険防止のためには結局同家屋を撤去する他なく、右撤去費用(家屋基礎部分の石垣の撤去と土止工事費用を含む)は四八万七、〇〇〇円であるから、同原告は同額の損害を蒙つたことになる。

(3) 土地の決壊による損害三〇六万円

本件事故により同原告所有の右家屋敷地はその三分の一が擁壁と共に下部住宅地に流出し、その価値を喪失したことは、前記原告金子につき記述したところと同一である。そして本件事故当時の右土地の価額は三〇六万円(3.3平方メートル当り六万円)であつたから、原告北園はこれと同額の損害を蒙つたことになる(なお右土地については前記金子と同様西宮宮市に寄付採納している)。

(4) キヤンパス設置代 一〇万円

右土地は土砂流出のおそれがあり、兵庫県知事から前記勧告を受けたので、原告北園はキヤンパス一〇枚を使用して、決壊後むき出しになつている地肌を覆い右キャンパス代として一〇万円を要した。

(二) 慰藉料 三〇万円

同原告は本件事故により自己並びに父母、妻子らの生命に危険を感じたうえ、苦労の末入手した土地、建物を喪失し、また避難場所の選定、家財道具の避難先への運搬や残存建物の保全に苦心する等の精神的苦痛を蒙つたもので、これを慰藉するには三〇万円を以て相当とする。

(三) 以上合計 五五四万七、〇〇〇円

四  よつて被告らに対し原告早水花江は一、四四三万二、七三七円およびそのうち一七万七、八五五円(治療費相当分)に対する昭和四六年一二月一日から、その余の金員に対する訴状送達の日の翌日(被告竹安は昭和四二年九月二五日、その余の被告らは同月二四日)から各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告早水典孝は一、〇四一万八、七五六円およびそのうち八、九二〇円(治療費相当分)に対する昭和四六年一二月一日から、その余の金員に対する訴状送達の日の翌日(前記に同じ)から各完済まで右同率の遅延損害金の支払を、原告郡は五〇〇万九、七〇〇円、原告金子は三九三万円、原告安福は三四〇万円、原告北園は五五四万七、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四二年一二月七日から完済まで右同率の遅延損害金の支払を求める。

(被告竹安の認否並びに反論)

一  認否

1 請求原因一の1の事実中、訴外早水重雄、原告郡が下部住宅地に、原告金子、同安福、同北園が上部住宅地に居住していたこと、両住宅地の間に崖崩れ防止のための擁壁が築造されていたことは認めるが、その余は争う。

2 同2の事実中、原告主張の日に豪雨があり、擁壁が崩壊したことは認めるが、その余は争う。

3 同3の事実中、擁壁が被告竹安の築造したものであり、亀裂が生じていたことは認めるが、その余は争う。

4 請求原因二の1の事実中、被告竹安が土木工事等の請負施行を業とし、原告ら主張の宅地の造成、擁壁の設置工事を施行したことは認めるが、その余は争う。

5 請求原因二の2の事実中、西宮市五月ケ丘一八番地一九番地の土地がもと被告小谷の所有であつたことは認めるが、その余は争う。

被告竹安は被告小谷から右土地の一部を山林原野のまま坪当り五、〇〇〇円で買受けることとし、昭和三七年五月一一日同被告との間でその面積を二二〇坪とみて代金を一三三万円とする売買契約を結び、直ちに宅地造成に着手したが、売買の目的とした土地の実際の面積が少いことが判明したので、造成工事がほぼ完了した同年一二月二二日その面積を一五六坪とみて売買代金を七八万円に変更した。売買の目的とした土地は早水重雄、原告郡が所有する土地の東側であつて、その土地と境界を接していたのであり、被告竹安が買受土地を宅地造成し擁壁を築造したところ、擁壁と右境界との間に空地が生じたので、これを早水重雄、原告郡に譲渡し、空地の東側の土地については同年八月一三日原告北園に五二坪を代金九五万円で、同年一一月二〇日訴外衣川熊治に五〇坪を代金九〇万円で売渡し、衣川熊治はこれを原告金子、同安福に売渡したのであるから、擁壁は原告北園、同金子、同安福の所有である。

6 請求原因二の3事実中、被告竹安が被告県の職員から数回にわたり工事の立会検査と指示さ受けたことは認めるが、その余は争う。

7 請求原因三の事実は争う。

二  反論

1 被告竹安は昭和三七年七月六日付で宅造法一四条一項の届出書を提出し、基礎の堀方や配筋の時など数次に亘つて被告県の職員の立会検査を受けていたものであるから、擁壁工事につき手抜などなし得るところではなかつた。現に、被告竹安は鉄筋工事については、直径四分と三分の鉄筋を使用し、水抜穴も設け、裏栗石も充分に入れ、特に原告早水宅裏の擁壁については直径五分の鉄筋を用い、必要以上の配筋工事をした。

2 仮に被告竹安に原告ら主張のような義務の懈怠があつたとしても、それと本件事故発生との間には相当因果関係がない。即ち、本件災害発生の日場所も同じ西宮市五月ケ丘で鉄砲水による災害が六ケ所も発生しており、その原因は、五月ケ丘がもと磨き砂の採取場で丘の中腹に採取跡の穴があり、また地質も、表面は堅いが少し下は砂地で、その下が堅い土となつている点にあり、本件事故は右の如き事情に起因するものでまさしく天災というべきである。

3 本件事故の原因はむしろ原告金子、同安福の非常識な行為にある。即ち本件擁壁に亀裂が生じた昭和四〇年九月当時、擁壁の下から水が湧き出ていたが、右湧水の原因は原告金子、同安福が自己の家屋を建築中に被告竹安築造の擁壁上の排水溝を潰し、そのうえ被告竹安が排水をよくするため擁壁上部に五〇センチメートルの土止めパラペットを設けてその下端から勾配に従つて張り芝工事をして排水をよくするよう工事していたのを右原告において埋土し、道路同様に通行していたために生じたのである。そしてこれが原因で擁壁が崩壊し、本件事故となつたのであるから、前記原告らにその責任がある。

4 原告らは本件事故発生に先立ち本件B擁壁に人の腕がはいる程の大きな亀裂の生じていることに気付きながら、その費用を上部住宅居住者と下部住宅居住者のいずれが負担するかにつき論争するばかりで、自ら何ら災害防止上の積極的な手当をなさず、また災害当日も原告早水の家族は原告郡から危険であるから逃げるようにと告げられたにも拘らず避難行為を怠つたため死亡するに至つたものである。従つて原告らには損害の発生並びに拡大防止につき自らの責務を怠つた過失がある。そのほか原告金子、同安福には前叙のような過失もあり、原告らの損害賠償額の認定については右の点も充分斟酌さるべきである。

(被告小谷の認否並びに反論)

一、認否

1 請求原因一の1の事実中、早水重雄、原告郡が原告ら主強の土地上に家屋を建築したことは認めるが、その余の事実は知らない。

2 同2の事実中、原告ら主張の日に豪雨があつたことは認めるが、その余の事実は知らない。

3 同3の事実中擁壁を被告竹安が築造したことは認めるが、その余の事実は知らない。

4 請求原因二の1の事実中、被告竹安が土木建築の請負を業とし、原告ら主張の宅地造成、擁壁設置工事を施行したことは認めるが、その余の事実は知らない。

5 請求原因二の2の(一)の(1)の事実は認める。

6 同(一)の(2)の事実中、原告ら主張の土地を被告小谷が早水重雄、原告郡に売渡したことは認めるが、その余の事実は否認する。なお右土地は被告小谷がこれを原地(山林)のままで早水重雄、原告郡に売渡し、同人らにおいて被告竹安に依頼して整地をしたものである。

7 同(一)の(3)ないし(5)の事実は否認する。なお原告ら主張の土地は、被告小谷が昭和三七年一二月二二日被告竹安に原地(山林)のまま代金八三万円(坪当り五、〇〇〇円の割で一六六坪)で売渡し、被告竹安がこれを宅地造成して、その一部を同年一二月二五日原告北園に坪当り二万円で、残余の土地を訴外衣川熊治に坪当り一万八、〇〇〇円で売渡し、更に同訴外人が昭和三九年五月二日これを坪当り三万二、〇〇〇円の割で原告安福同金子にそれぞれ売渡したものである。従つて原告ら主張の擁壁は被告竹安が設置したものであり、また被告小谷の所有でもない。

8 同(二)の(1)の事実中、被告小谷が宅地造成の諸法令を知悉していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

9 同(二)の(2)の事実は否認する。

10 請求原因二の3の事実は知らない。

11 請求原因三の事実中、早水重雄、原告郡、同金子、同安福、同北園が原告ら主張の土地を所有していたことは認めるが、その余の事実は知らない。

二  抗弁

被告小谷は昭和三七年一〇月三一日原告らも構成員となつている上部、下部住宅地附近一帯の住民よりなる五月会という自治会の代表者訴外小林艶子との間で、被告小谷において道路につき責任を負わない旨の契約を結び、その旨記載した覚書もとり交わし、同日までに四五万円を同訴外人らに交付した。右契約は被告小谷に対し上部下部住宅地一帯の土地について一切の責任を免脱させる趣旨であるから、被告小谷は原告らに対し損害賠償をすべきいわれはない。

(被告県の認否並びに反論)

一、認否

1 請求原因一の1の事実中、家屋の建築時期、敷地の地番、上部住宅地と下部住宅地との高低差、原告早水両名の身分関係は争い、その余の事実は認める。

2 同2の事実中、家屋の倒壊、宙吊り、損害の発生は不知、その余の事実は認める。

3 同3の事実中、上部および下部住宅地の現状と以前の形状、擁壁の構築者は認めるが、その余は争う。

4 請求原因二の1、2の事実は知らない。

5 請求原因二の3の冒頭の事実中、兵庫県知事の職務、権限は認めるが、その余は争う。

6 同(一)の(1)の冒頭の事実は争う。

7 同(一)の(1)の(ア)の事実中、規制区域指定の日は認めるが、着工の日は否認する。擁壁築造工事着手の日は昭和三七年五月三〇日頃である。

なお、被告竹安が上部住宅地の造成に着工したのは同年五月上旬ないし中旬であり、その上部住宅地の造成とそのための擁壁の設置とは一連の工事で、不可分の関係にあるから、宅地造成に関する工事の着工時期は明らかに規制区域指定の日より前であり、宅造法八条は適用されない。

8 同(一)の(1)の(イ)の事実は否認する。被告竹安は昭和三七年六月二六日兵庫県知事に右工事につき届出た。

なお規制区域指定前に着工された工事については、所定の届出期間を徒過しても、その続行のために許可を要することになるものではない。

9 同(一)の(1)の(ウ)の事実は否認する。

石積擁壁が設置されたのは、当初コンクリート擁壁を高さ七メートルにする予定のところ、途中で、これを四メートルに止めてその上部斜面の上端部に土止めの中間的擁壁を設置する方が、長大な斜面を形成するより適当であろうと考えたからであり、いわば当初、届出にかかる一段の擁壁を工事途中で四メートルのコンクリート擁壁と石積擁壁との二段にわけて築造したに過ぎず、従つて工事内容としては、終始同一性が保たれていたもので、石積擁壁につき新たな届出をするものではなかつた。

10 同(一)の(2)の冒頭の事実は争う。

本件擁壁設置工事には前叙のとおり宅造法八条の許可を要しないから、同法一二条一三条の適用はない。

11 同(一)の(2)の(ア)ないし(オ)の事実中、被告県の職員が原告ら主張の日時頃本件擁壁工事の現場を発見し或いは調査したこと、同(イ)の調査当時被告県が右工事に関し被告竹安から工事届出書設計図等の提出を受けておらず、また本件コンクリート擁壁は高さ二メートル程度であつたこと、同(ウ)の現地調査の際に本件コンクリート擁壁が高さ四メートルまで出来ていて、同擁壁の底部の厚みが不足し、水抜穴もないことが発見されたこと、兵庫県知事が擁壁の高さを現状の四メートルに止め、その上に0.5ないし1メートルのパラペットを設置して芝張りの傾斜地として、水抜穴を設けるよう指示したこと、同(エ)の現場調査当時B擁壁は高さが四メートルで、その上部が勾配四〇度位の芝張り斜面となり、編柵が設置されていたが、パラペットと水抜穴がなかつたことは認めるが、その余の事実は争う。

なお昭和三七年一一月二八日兵庫県知事の委任を受けた西宮土木出張所長は被告竹安に勧告書を発したが、その内容はA擁壁相当部分につき防災のため必要な措置をとるよう勧告したものであり、同年一二月から昭和三八年二月にかけて、鉄筋コンクリートによるA擁壁の設置工事がなされた。

12 同(一)の(2)の(カ)の事実中、被告県の職員が昭和三八二月二八日現地調査し、現状のB擁壁だけでは危険防止上不充分であることを発見したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同職員は被告竹安にB擁壁の前面に鉄筋コンクリート擁壁を、A擁壁と同一工法により、重ねて築造するよう指示し、被告竹安もこれを了承した。

13 同(一)の――(キ)の事実中、原告郡がB擁壁面上に横にひびわれが生じているのを発見したことは認めるがその余の事実は否認する。

原告郡は西宮土木出張所にそのひびわれを届出たことはなく、被告竹安に申出てその修復を求めたに過ぎない。

14 同(一)の(3)は争う。

15 同(二)の事実中、被告県の職員が被告竹安に対し原告ら主張の如き指導をしたことは認めるが、その余は争う。

16 同(三)の事実中、本件擁壁工事が建築基準法の適用を受け、またその築造当時兵庫県知事が同法所定の特定行政庁としての権限を有し、被告県の西宮土木出張所員がその事務を処理していたことは認めるが、被告県の職員に建築基準法上の義務違反があつたとの点は争う。

なお被告県の宅地保全係五味邦一は昭和三七年六月七、八日頃本件擁壁工事を発見した際、被告竹安に工事の届出書と設計図面の提出を促した。右措置は直接には宅造法一四条に基くものであるが、同時に建築基準法上の確認申請を促したことにもなる。そして右工事は当時基礎のコンクリート打ちの段階にあり、擁壁自体が同法所定の技術的基準に違反している形跡もなかつたから、確認義務違反の故を以て直ちに工事の施工停止命令を発するのは適当ではなかつた。その後被告竹安から提出された設計図面によると、その擁壁は右基準に合致していた。

また被告県の宅地保全係および西宮土木出張所員が昭和三七年七月一七日現場を調査した際、築造中のB擁壁が右設計図面と相違し、擁壁の厚みが足りず、水抜穴がないことが発見された。従つて水抜穴のないことは建築基準法施行令一四二条――三号に、またそのままの厚さで七メートルまで同擁壁を積みあげると同法二〇条の構造耐力の規定に違反することになるが、当時擁壁は既に四メートルまで出来ていて、その背後に盛土があり、その下に早水重雄、原告郡宅があり、台風も接近していたので、建築基準法九条の除去命令を発し、擁壁を除去させるのは反つて危険であり、かつ被告竹安の日頃の態度から判断して到底除去命令を履行するとも考えられなかつたので、前記係員は同被告に擁壁のそれ以上の積み上げの禁止と水抜穴の設置とを指示したのである。

成る程被告竹安は結局水抜穴の設置を怠つて右指示に従わなかつたものであるが、しかし右工事について完了の届出がされなかつたのであるから、建築主事(西宮土木出張所員)としては建築基準法七条所定の検査をしなかつたことを非難されるいわれはないし、またB擁壁の補強につき、同法九条所定の措置をとるか、単に勧告の程度に止めるかは兵庫県知事の裁量に任せられているところであつて、兵庫県知事が同条所定の措置をとらなかつたことが直ちに違法となるものではない。

17 請求原因三の事実中、早水重雄、同紅美子、同美栄子、同紀美子が本件事故により死亡したことは認めるが、その余の事実は知らない。

二、反論

1 兵庫県知事その他被告県の職員は、災害防止のため以下のとおり充分の措置をとつたものである。

(一) 兵庫県知事宛に昭和三七年六月二六日付で被告竹安から西宮市五月ケ丘所在の訴外許斐醇、早水重雄、原告郡宅の裏崖において擁壁築造のための傾斜面を造成中である旨の届出がなされたので、被告県の宅地保全係および西宮土木出張所係員が同時七月一七日現地を調査した。当時A擁壁部分には玉石を垂直に張りつけただけの薄い擁壁が存在し、届出外の石積擁壁が既に設置されており、B擁壁相当部分は高さ四メートルまで擁壁が出来ていた。届出書添付の設計図によると、擁壁の高さは七メートルの予定とされていたが、B擁壁の断面が薄いので、右設計を変更し、その高さを四メートルにし、その上に一メートルのコンクリート製土止めパラペットを設置し、擁壁の上部を芝張り斜面とするよう右係員が同日現場において被告竹安を指導し、被告もこれを了承した。

(二) 次いで被告県の宅地保全係員は、同年八月一七日現地を再度調査したところ、B擁壁については高さを指導通り四メートルに止め、その上部を勾配四〇度位の芝張り斜面とし、編柵(土砂の落下を防止するためのさく)を施してあつたが、その他のA、C各擁壁相当部分は未完成であつたので、前回の指導どおり早急に工事をし、なおB擁壁についてはパラペットを設置するよう再度指導した。

(三) ところが被告竹安は同年一一月八日になつても右指導どおりの工事をせず、特にA擁壁相当部分は前記のままの状態であつたので、同日現地調査に赴いた被告県の宅地保全係員は、右部分につき崖面保護の擁壁の設置又は崖面の切りとり等の災害防止措置をとるよう口頭で指導した。

しかし被告竹安は右指導にも従わなかつたので西宮土木出張所長は同月二八日右A擁壁相当部分につき防災上の必要措置をとるよう被告竹安宛に勧告書を発した。そして同年一二月から翌三八年二月にかけて、西宮土木出張所係員の指導の下に鉄筋コンクリートによるA擁壁の設置工事が進められた。

(四) 被告県の宅地保全係員が昭和三八年二月二二日現地調査をなしたところ、右A擁壁は前記勧告どおり施行済であり、B擁壁上部のパラペットも高さ約一メートルのコンクリート製で設置されており、C擁壁もA擁壁につき指導したのと同一工法で鉄筋コンクリートにより施工中であつた。

(五) B擁壁は、高さが四メートルで、パラペットが設置され、その上部が張り芝の斜面となつているが、前記係員の指導に基き施行された他のA擁壁等と比較すると防災上充分とは認められなかつたので、被告県の宅他保全係員は昭和三八年二月二八日現地調査の際、被告竹安にその旨を説明し、B擁壁について更に補強すべきことを促したところ、同被告がこれを承諾したので、同係員はその補強方法としてB擁壁の前面に新しい鉄筋コンクリート擁壁を重ねて築造するよう、またその工法はA擁壁について指導したのと同様の方法によることを指導し、被告竹安もこれに従つて施行することを約したのである。

以上のように被告県の職員は終始適切な指導を続けて来ているのであつて、取締権限を適切に行使しなかつた旨の原告らの主張は理由がない。

2 兵庫県知事は宅造法、建築基準法上の作為義務も怠つていないのであるが、仮にこれを怠つたとしても、右をもつて直ちに被告県が不法行為法上の損害賠償責任を負わねばならぬものではない。

即ち行政庁が行政法上なすべき行為をしなかつた場合においても、その作為が法規上特定個人に対する関係でなされるべきことを命ぜられているものでない限り、当該行政庁の属する国又は公共団体に対する政治上の義務違背は生じても、特定の個人に対する不法行為法上の義務違反となるものではない。これを本件に即していえば、兵庫県知事の宅造法、建築基準法上の作為義務違背が不法行為となるのは、その作為が被害防止の最も有効な方法であり、かつ、原告ら特定個人のためにその被害を防止する措置をとることが職務上の義務として要請される状況にある場合でなければならないが、かかる状況にはなかつたのである。

3 仮に以上の主張が認められないとしても本件事故の発生と原告らの主張する兵庫県知事の作為義務違背との間には因果関係がないから被告県は損害賠償の責任を負うものではない。即ち事故の発生した昭和四二年七月九日は台風七号くずれの低気圧によつて刺戟された梅雨前線が瀬戸内海を東進し、紀伊水道からの湿潤な南西気流と紀伊水道、六甲山地の地形とが相俟つて、記録的集中豪雨となり、ために西宮市では事故前日の八日の雨量は40.8ミリ、当九日午前八時の時間雨量は四一ミリ、同九時のそれは五六ミリとなり、事故当日の全雨量は396.5ミリにも達した程であつて、たとえ本件擁壁につき兵庫県知事が原告ら主張の措置をとつていたとしても、かかる豪雨の下では本件事故の発生を免がれることは不可能であつたと思料される。

4 本件事故の責任は、宅造法一五条一項に照しむしろ原告金子、同安福にあると考えられる。けだし右法条は宅地造成工事規制区域内の宅地の所有者、管理者又は占有者にはその宅地を常時安全な状態に維持すべき義務かある旨規定しているところ、右原告らは左記のとおり右所有者に該当し、かつ、右維持義務を怠つたからである。即ち、一般に宅地造成分譲業者が階段状に宅地を造成して崖面の生じた場合、右崖面を業者が留保して分譲することは、全く業者にとつて無益であるから考えられず、当然右崖面の所有権も含めて分譲しているものとみられる。そして、上部、下部住宅地は先ず下部住宅地が造成され、その後上部住宅地が造られたのであつて、本件崖面および擁壁は、上部住宅地造成の必要上築造されたものであり、いわば上部住宅地の崖脚をなしていたから、その所有権は上部住宅地の所有者である原告金子、同北園、同安福らに帰属していたというべきである。また叙上の事情と右原告ら三名がB、C、D、擁壁と石積擁壁との間にあつた通路を通行使用していたこと、原告金子がB擁壁上に金網の柵を設け、右通路上に物置小屋を設けて同土地を使用していたこと、原告北園が右通路上にコンクリート支柱を設けその上に石積擁壁から自己の建物の床を突出してその土地を自己のために利用していたことなどからみて、原告金子、同安福、同北園は擁壁部分の土地を占有していたものというべきである。従つて右原告らは本件擁壁の所有者又は占有者としてその擁壁部分を含む宅地を常時安全な状態に維持すべき義務を負つていたというべきである。

そうすると、B擁壁に亀裂が生じた時点において、右原告らのうち少くともB擁壁の直近上部に位置する原告金子、同安福は、直ちにこれが補修にとりかかるべきであり、若し同原告らにおいてその義務を尽くしておれば当然本件事故の発生は回避し得たものと考えられるので本件事故については右原告両名が責任を負うべきである。

5 本件事故の発生については、原告金子、同安福に右のとおり過失があるほか、他の原告らも右擁壁によつて自己所有の各住宅地が保全されているのであるから、右原告両名に擁壁の亀裂を速やかに補修するよう要求すべきであるのにこれをなさず、坐して災害の発生を待つた点に過失がある。

従つて、仮に被告県に損害賠償義務があるとしても、その損害額の算定については原告らの過失が斟酌されるべきである。

(被告小谷の抗弁に対する原告らの反論)

被告小谷主張の日に主張の如き覚書が被告小谷と五月会の会長訴外小林艶子との間でとり交されたことは認める。

しかし、右小林に覚書記載の如き契約をなし得る権限があるか、仮に右契約が有効なものとしてもその締結の日以後同会に入会した原告らにつきこれが拘束力を有するかについて、疑問があるばかりでなく、そもそも上部住宅地は造成工事途中で道路などまだなく、従つて右覚書に道路について責任を負わないという文言があつたとしても、それは本件擁壁上の道路とは別の道路を指すものと考えられ、本件事故についての責任と覚書とは関連性を有しない。

第三 証拠関係<略>

理由

一事故の発生とその原因について

1  <証拠>によれば、訴外早水重雄、原告郡、同金子、同安福、同北園は請求原因一の1摘示の頃その土地上に家屋を建築して居住していたこと、右家屋五戸の敷地の位置関係は別紙図面(一)のとおりであることが認められる。

そして原告金子、同安福、同北園の右家屋の敷地(上部住宅地)が訴外早水重雄、原告郡の右家屋の敷地(下部住宅地)よりも一段高い位置にあり、両住宅地間に崖崩れ等防止のため擁壁が設けられていたことは、被告竹安、同県との間では争いがなく、被告小谷との間では<証拠>によつて認められる。

<証拠>によれば、右擁壁の位置、形態は大略図面(一)および(三)のとおりであつて、擁壁はコンクリート部分のと石積の部分の二段およびその接続部分の平地からなつていたこと、図面一のA、C、D擁壁は鉄筋コンクリート製、B擁壁は無筋コンクリート製で、A擁壁の地表からの高さは約六メートル、B、C、D擁壁のそれは約五メートルであり、B、C、D擁壁の地表上の高さ四メートルのところから図面(三)のように芝張り斜面が設けられて、その上部がA擁壁の天端とほぼ同じ高さになつていたが、B擁壁部分では擁壁と芝張り斜面の間が埋められてほぼ同図の点線のようになつていたこと、中間の平地は図面(一)のように帯状をなし、その巾は0.7メートルから二メートル位であつたこと、上段の石積擁壁は玉石を高さ二、三メートル練積したものであつたことが認められる。

2  昭和四二年七月九日上部および下部住宅地一帯に豪雨があつたことは当事者間に争いがない。

そして当日右擁壁の一部が崩壊したことは、被告竹安、同県との間では争いがなく、<証拠>によれば、同日午後八時頃B擁壁(長さ約一七メートル)はその高さの上半分が倒壊し、C擁壁は中央部に亀裂が生じて北半分が傾き、B、C擁壁上部の石積擁壁は全て崩壊し、上部住宅の土砂が下部住宅地に崩れ落ち、そのため下部住宅地上の家屋二戸は倒壊し、上部住宅地上の家屋三戸は半ば宙吊りになつたことが認められる。

3  A、B、C、D擁壁およびその上の石積擁壁は被告竹安が築造し、また上部住宅地も同被告が造成したものであることは、当事者間に争いがない。

ところで<証拠>によれば、上部および下部住宅地一帯はもと西に向い下り勾配の山林であつて、上部住宅地の造成および擁壁の築造された昭和三七、八年当時、下部住宅地にはすでに家屋が建つていたが、上部住宅地は山林のままであり、その山林はB擁壁設置場所がA、C、D擁壁設置場所よりも低くなつて谷状をなしていたこと、したがつてB擁壁上の宅地を造成するにはA、C、D擁壁上の宅地の造成に比し、擁壁の背面により多くの盛土を要したが、かような盛土擁壁と切土擁壁とでは一般に前者がより大きく土圧を受けること、右地帯の地質は透水層(礫混り砂)と難透水層(シルト質粘土、ローム、砂質ローム)が互屑をなしているが、天然地層は原状の高いところから低いところへ傾斜していて、A、B、C、D擁壁の背後にある透水性良好な地層に浸透した雨水は、B擁壁背後の盛土あるいは堆積土の附近に集る傾向があつたこと、B擁壁は高さ約五メートル、厚さ四、五十センチメートル位という高さの割に薄い無筋コンクリート製であるが、その築造に際しコンクリートの型枠を表面(西側)にのみ使用して背面に使用しなかつたため、擁壁の厚さが不均一で部分的にはさらに薄い部分が生じており、また、コンクリート材質が貧配合で特に骨材に用いた砂が清浄なものでなくコンクリートとしての材質が不良であつたこと、B擁壁には裏込の排水用栗石層がほとんどなく、水抜穴も少かつたこと、上段の石積擁壁にも排水用の栗石がほとんど使用されておらず、また原告北園の敷地北西部の石積擁壁に沿つて帯状の土地上にコンクリートの添え柱が立てられ、これに家屋の庇がのせられていたため、右柱の所在部分にはかなりの圧力がかかつていたこと、昭和四〇年五、六月頃すでにB擁壁にはC擁壁との継目のところに続く亀裂が、また同年九月頃前面に横に長く亀裂が生じていたこと、事故当日の昭和四二年七月九日兵庫県南東部に降雨が集中し、神戸では午前九時頃から降りはじめて午後三時三〇分頃から降雨が強まり、一時間降水量の最大値(午後四時二八分から五時二八分までの一時間)75.8ミリメートル、一〇分間降水量の最大値(午後四時五八分から一〇分間)23.4ミリメートル、日降水量319.4ミリメートルとなつたことが認められる。そして以上の事実と鑑定の結果とに徴すると、前記擁壁の崩壊はB擁壁がその背面の土圧および浸透水の水圧に堪えられないで倒壊し、続いてその上部の石積擁壁が瓦解したものであると認められる。

二被告竹安の責任について

1  被告竹安が土木工事等の請負施行を業とするものであることは、同被告との間で争いがない。そして被告竹安が宅地造成のうえ分譲する目的で、上部住宅地およびこれを支える擁壁(B、C、D擁壁、その上段の石積擁壁、中間の帯状の土地)部分を山林のまま被告小谷から買受け、昭和三七年五月頃その造成工事に着手して昭和三八年三月頃工事を終了したこと、右造成工事について宅造法九条の適用はないが、その工事のうち擁壁について建築基準法の適用があることは、後に詳述するとおりである。したがつて、その擁壁は裏面の排水をよくするために水抜穴を設け(建築基準法施行令一四二条)、自重、土圧および水圧に対して安全な構造でなければならないのである(建築基準法二〇条八八条)。殊に右擁壁は前記の如く上部住宅地を支えるとともにその土砂が下部住宅地へ流出するのを防止するためのものであり、コンクリート部分と石積部分の二段階になつているものの、高さが八、九メートルもあつて、それが崩壊した場合、上部住宅地居住者の生命財産に重大な損害が坐ずることになるのは地形上明らかであるから、上部住宅地を造成して分譲する者はその擁壁を崩壊の危険のない構造としなければならないのは当然である。

ところがB擁壁は高さが約五メートルもある無筋コンクリート製であるのに、厚さは四、五十センチメートルしかないうえ、その厚さが不均一であること、B擁壁は骨材に用いた砂が清浄でなく、コンクリートとしての材質が不良であること、B擁壁には排水用栗石も水穴抜もほとんど設けられていないこと、B擁壁部分はもと山林で谷状をなしていて、その築造に当り背面に多くの盛土を要したので、B擁壁はA、C擁壁(鉄筋コンクリート製)より大きく土圧および水圧を受ける状態にあつたことは前叙のとおりであり、これを鑑定の結果に照らして考えると、B擁壁は土圧および水圧に対し安全な構造ではなかつたと認めざるをえない。

2  被告竹安は、本件事故はB擁壁の不完全によるものではなく、天災であると主張するから検討する。

同被告は、上部住宅地の存する五月山の中腹に磨き砂の採取跡があつて、それがB擁壁崩壊の原因であるというが、これを認めるに足る証拠はない。また上部住宅地一帯の台地が透水性の良好な礫混り砂と透水性の不良な粘土等との互層をなしていることは先に認定したとおりであつて、鑑定の結果によると、強雨がかなり長時間降り続くと浸透水が浸水性の不良な地層の上に貯溜され、その地層上の斜面部分が崩れ落ち易くなることか窺えるけれども、土建業者はかかる事情を考慮したうえ宅地造成をすべきであり、右土質の故に造成地の崩壊事故を天災に帰せしめるわけにはいかない。

なるほど本件事故当日の神戸の降水量は前記のとおり一時間最大数値75.83ミリメートル、一〇分間最大数値23.46ミリメートル、日降水量319.4ミリメートルであり、その量は、<証拠>によると、神戸海洋気象台の管内においては、一時間降水量では昭和一四年八月一日の87.73ミリメートルに次ぎ、一〇分間降水量では昭和三三年九月一一日の28.0ミリメートルに次ぎ、日降水量では昭和一三年七月五日の270.4ミリメートルを上回つて明治三〇年同気象台創立以来の記録であることが認められるから、集中性の甚だ強い豪雨であつたことが窺われる。しかし右の事実によつて明らかなように、一時間降水最および一〇分間降水量ではこれまでに本件事故当日のそれを上回る記録があり、日降水量でも過去に当日のそれに近い記録があるのであり、集中豪雨は我が国において稀ではないから、宅地造成を業とする者は本件事故当日程度の豪雨を予期して造成工事をすべきであり、鑑定の結果によれば、B擁壁が鉄筋コンクリート製で、その背面に十分な排水用栗石層と低い位置に排水孔群を設置していれば、擁壁背面に浸透水が貯溜することなく、水圧も少くて豪雨にも安全であり、或はB擁壁の前面(西側)に接して鉄筋コンクリート擁壁を築いてB擁壁を補強しておけば、本件事故当日の豪雨でもその崩壊を回避しえたであろうことが窺われる。そうすると本件事故は被告竹安が不完全な擁壁を設置したことによるものといわなければならない。

3  そして<証拠>によると、被告竹安は上部住宅地造成工事中の昭和三八年二月二日兵庫県土木建築部住宅課宅地保全係員からB擁壁が防災上完全でないのでその前面に接して鉄筋コンクリート擁壁を築くよう勧告されこれを了承したことが認められ、右事実と一の1、3、二の1に記したB擁壁と四囲の状況に徴すると、被告竹安はB擁壁築造当時それが構造上水圧および土圧に対し安全でなく、もし崩壊すればこれに接する住宅地の居住者に損害が生ずるであろうことを容易に知りえたものと認められる。

4  なお、被告竹安は原告金子、同安福が擁壁上の排水溝を潰し、かつ、B擁壁上のパラペット(土止め)と芝張り斜面の間の凹地を土で埋めて道路同様に使用していたことが、擁壁崩壊の原因であると主張する。

しかし原告金子、同安福が排水溝を潰したことを認めるに足りる証拠はない。

また<証拠>によると、被告竹安は昭和三七年七月一七日兵庫県の宅地保全係員から当時地表の高さ約四メートルまで造られていたB擁壁上に0.5ないし一メートルのパラペットを設置し、かつ、擁壁の上部に芝張りの斜面を設けるよう勧告され、昭和三八年三月頃までに別紙図面(三)のようにB、C、D擁壁に芝張り斜面を設けてこれに土砂流出防止用の編柵を施し、B擁壁を上方に約一メートル延長してこれをパラペットとし、C、D擁壁も上方をパラペットとしたこと、芝張り斜面とパラペットを設けたのは、両者の間の凹地が排水路となつて、上部住宅地から流下する雨水および擁壁の中間に在る帯状の土地上の雨水を流し、これによつて擁壁への浸透水を少くするためであつたこと、ところが本件事故当時B擁壁裏の凹地は土で埋められていて、前記排水路としての役目を果さずこれがB擁壁崩壊の一因をなしたこと、原告金子はその家屋の西側に在る右凹地を土で埋め、ここに杭をたてて金網を張つたことが認められ〔る〕<証拠判断略>。そして原告今福の家屋の西側に在る右凹地を同原告が埋めたか否かは明らかでないが、たとえそれが流出した土砂、雑草、塵埃等の堆積により埋まつたものであつたとしても、後に述べるように本件事故発生当時B擁壁、その上段の石積擁壁、両者の中間の帯状の土地は原告金子、同今福が所有、占有していたのであつて、右原告等は擁壁を常時安全な状態に保持すべき義務かあつたから、B擁壁と芝張り斜面間の凹地の埋土を除却して、排水路としての本来の作用を果す状態にしておかなければならなかつたのである。したがつて右原告等がこれを怠つたことは、その受くべき損害賠償額の算定に当り考慮されなければならないが、これがために被告竹安が全く責任を免れるというものではない。

三被告小谷の責任について

1  まず擁壁が被告小谷の所有、占有するものであつたか否かについて判断する。

(一)  上部および下部住宅地を含む分筆前の西宮市五月ケ丘一八番地および一九番地の土地がもと被告小谷の所有であつたこと、同被告がそのうち一八番地の二を早水重雄に、一九番地の三を原告郡に売渡したことは、被告小谷との間では争いがなく、被告竹安、同県との間では<証拠>によつて認められる。

そして<証拠>によれば、被告小谷は早水重雄、原告郡に売渡した前記一八番地の二および一九番地の三の土地の東側の山林につき、被告竹安との間でその面積を二二〇坪とみて、昭和三七年五月一七日代金を一三二万円(坪当り六、〇〇〇円)とする売買契約を結び、即日内金一五万円、同年一〇月二三日四万八、〇〇〇円の支払を受けたこと、被告竹安は右土地を造成して分譲する目的で買受けたものであつて、右契約締結後間もなく擁壁の築造、宅地の造成にかかつたが、宅地として実際に使用しうる面積が少く、したがつて分譲価額も比較的低廉にならざるをえないことが判明したことなどから、被告小谷と売買代金の滅額を交渉し、その結果、同年一二月二二日同被告との間で、土地の面積を一五六坪とみせて坪当り五、〇〇〇円で計算し、代金を七八万円に変更する契約を結び、同年一二月二五日五八万二、〇〇〇円を支払つて、売買代金を完済したこと、被告竹安は造成中の土地の一部につき、同年八月一三日被告北園との間で、その面積を五一坪、代金を九五万円とする売買契約を、同年一一月二〇日訴外衣川熊治との間で、その面積を五〇坪、代金を二〇万円とする売買契約を結び、右衣川は昭和三九年五月二日原告金子、同安福との間に、右土地を半分づつ各代金一〇〇万円で売る旨の契約を結び、各土地につき、原告北園は昭和三八年一月一一日一九番地の七山林一畝二一歩、原告金子は昭和三九年五月二五日一八番地の九山林二五歩、原告安福は同日一八番地の一〇山林二五歩とする所有権移転登記を被告小谷から受けたことが認められ、右認定を覆えす証拠はない。

以上の事実および前記一の1の事実によると、上部住宅地の所有権は、被告小谷から被告竹安へ移転し、同被告から直接原告北園へ、或いは衣川態治を経て原告金子、同安福へ移転したと解すべきである。

(二)  そこで擁壁の所有権が右住宅地所有権の移転とともに移転したかどうかについて検討する。

(1) <証拠>によると、被告竹安は山林を切取つてB、C擁壁を築造したが、その際B、C擁壁の前面(西側)と早水重雄所有の一八番地の二、原告郡所有の一九番地の三各宅地との間に平地ができたので、右平地につき、昭和三八年五月八日原告郡との間で一九番地の三の宅地に接続する部分一二坪を代金一一万円で売渡す契約を結び、早水重雄にも一八番地の二の宅地に接続する部分を買取るよう交渉したことが認められる。

(2) <証拠>によれば、被告竹安は上部住宅地を造成するに当り、当初は一段の擁壁を造る計画であつたが、兵庫県宅地保全係員の指導によりこれを前叙のとおり二段の擁壁に更めたため中間に帯状の平地ができたのであり(上部住宅地についてはその東側に道路があり、右平地は通路に使用するため造られたものではない)、上段の石積擁壁も下段のコンクリート擁壁もともに上部住宅地を支えるものであることが認められる。

(3) <証拠>によれば、原告安福の家屋の敷地と原告北園の家屋の敷地が接する線の石積擁壁の西側にもと境界石が存在していたが、衣川熊治はこれを北側の土地(同人が被告竹安から買受けた土地)と南側の土地(原告北園が被告竹安から買受けた土地)の境界のみを示すものであつて、東側の土地と西側の土地のそれを示すものではなく、右衣川買受土地の西の境界は右境界石よりさらに西方にあると了解しいたことが認められる。

(4) <証拠>によれば、原告金子は昭和四〇年頃自己の家屋敷地西側のB擁壁上に杭をたてて金網を張り、敷地からその下方の帯状の土地部分に降りる木造階級を設けてその間の通行を可能にし、また同年五月頃には右帯状の土地に物置小屋を置いたことが認められる。また原告北園が石積擁壁に沿つてコンクリートの柱を右帯状の二地上に立て、これに自己の家屋の庇をのせていたことは前叙のとおりである。

以上の事実と<証拠>を総合すると、被告小谷は早水重雄所有の一八番地の二、原告郡所有の一九番地の三の宅地の西側の境界線以東の土地即ち擁壁および上部住宅地を含む土地を被告竹安に売渡し、その後の上部住宅地の売買においてはこれを支える擁壁(上段の石積擁壁、下段のコンクリート擁壁、中間の帯状の土地)も同時にその対象となり、上部住宅地の所有権の移転とともに右擁壁の所有権も移転し、結局本件事故発生当時B擁壁とその上方の部分は原告金子、同安福が、C擁壁とその上方の部分は原告安福、同北園が所有し占有していたものとみるのが相当であ〔る〕。<証拠判断略>

2  次に、原告らは、上部住宅地の造成は被告竹安が被告小谷とその請負契約を結び、これに基き施工したものであると主張するが、右事実を認めるに足る証拠はない。

3  さらに原告らはコンクリート擁壁の築造について被告小谷が工事施行者と同様の地位にあつた旨主張する。

なるほど<証拠>によると、被告竹安は従来被告小谷から住宅造成を請負つたり、日当をもらつて土木工事をしていたことが認められるが、右証拠によれば、上部住宅地の造成は、被告竹安がその分譲によつて利益を得る目的で被告小谷から山林を買受け、多額の造成費用を支出して施工したものであることが認められるのであり、被告小谷が原告ら主張のように施行者と同様の地位にあつたと認むでき証拠はない。

4  すると原告らの被告小谷に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四被告県の責任について

1  兵庫県知事が住民の安全、健康および福祉を保持し、災害を防止する事務を処理するため、宅造法、建築基準法等に基き災害防止上必要な措置をとる権限を有することは、被告県との間に争いがない。

2  <証拠>によれば、上部住宅地の存する西宮市は昭和三七年六月六日宅造法の宅地造成規制区域に指定されたこと、被告竹安は同年六月一日以前に上部住宅地造成工事の一部であるB擁壁築造工事に着手したことが認められる。したがつてその着工は規制区域指定以前であるから、右工事については、造成主である被告竹安において宅造法所定の兵庫県知事の許可を受ける要がなく、右指定のから二一日以内に工事の届出をすれば足りるのである。

そして<証拠>によれば、被告竹安は同年六月七、八日頃B擁壁の基礎コンクリート打ち工事中、兵庫県の宅地保全係員五味邦一等から右工事現場でその宅地造成工事の届出をするよう注意され、同年七月六日から一七日までの間にその間にその届出を兵庫県知事にしたことが認められる。そうすると、被告竹安の届出が所定の届出期間を徒過していたことは明らかであるが、だからといつて、原告らの主張するように、届出期間経過後はその工事を続行するについて兵庫県知事の許可を要することになると解すべき根拠はない。

さらに、前叙の如く、擁壁はBCDのコンクリート擁壁部分もその上段の石積擁壁部分もともに上部住宅地を支えるためのものであるから、その擁壁工事は右住宅地造成工事の一部であり、したがつてコンクリート擁壁築造工事に着手したのが宅地造成区域指定の日より前であれば、その宅地造成に関する工事について許可を受ける必要がないのは勿論である。

それ故、被告竹安の上部住宅地造成に関する工事(擁壁築造工事を含む)については、兵庫県知事の許可を要しないのであり、したがつて宅造法八条、九条、一二条、一三条の規定は適用されないから、原告らの主張のうち右規定の適用があることを前提とする主張は失当である。

3 ところで宅地造成規制区域の指定前に着工された宅地造成についても、宅造法一五条、一六条が適用されることは、同法一五条一項の規定により明らかである。したがつて兵庫県知事には上部住宅地の造成につき同法一五条の勧告、一六条の改善命令をする権限がある。そこで兵庫県知事が右権限の行使を怠つた違法があるか否かについて検討する。

<証拠>によれば、昭和三七年六月二〇日兵庫県の宅地保全係員は上部住宅地造成工事の現場に赴いたが、当時はB擁壁が高さ二メートル位築造されていただけで、その他の擁壁は築かれていなかつたこと、その後被告竹安から兵庫県知事に右造成工事に関する届出がなされ、その設計図によると、築造予定の擁壁は高さ7.2メートル(基礎の根入を含めると九メートル)、厚さ0.4ないし2.2メートルで、その構造に法令違反など格別不完全な点はなかつたこと、ところが同年七月一七日右保全係員および兵庫県の西宮土木出張所員等が右工事現場に臨んだ際、B擁壁は地表四メートルの高さまで築造されていたが、その厚さが設計図より薄く、水抜穴もほとんどなかつたので、右係員は、計画を変更してB擁壁の高さを現状にとどめ、その上に0.5ないし一メートルのパラペット(土止め)を設置し、擁壁の上部を芝張り斜面にして二段階の擁壁とするよう被告竹安に勧告したこと、同年八月一七日係員が現場に赴いたところ、B擁壁には芝張り斜面が設けられ編柵が施されていたが、パラペットが設置されていなかつたので、これを構築するよう被告竹安に再び勧告したこと、なお係員が同年一一月八日現地に赴いた際、上段の石積擁壁はすでに築造され、A擁壁部分も玉石積であつたので、A擁壁部分を鉄筋コンクリート製にするよう被告竹安に勧告したが、同被告がこれに従わなかつたので、西宮土木出張所長(同年一〇月一日より一万平方メートル以下の宅地造成についての許可、監督処分等は兵庫県知事から右所長に委任されていた)は同年一一月二八日書面を以てA擁壁部分を同年一二月二八日までに改善するよう再び勧告したこと、昭和三八年二月二二日係員が現地調査に赴いた際には、B擁壁上には未たパラペットは設置されていなかつたが、A擁壁は鉄筋コンクリート製で完成しており、C擁壁はほとんど完成してその上部約一メートルはコンクリート製パラペットとして構築中であり、被告竹安はB擁壁の前面(西側)に鉄筋コンクリート擁壁を築造して、B擁壁を補強する計画である旨告げたので、係員はA、C擁壁に準ずる構造の擁壁にするよう被告竹安に指示したこと、その後被告竹安はB擁壁を高さ約一メートル延長してパラペットとし、同年三月頃前記一の1のとおり上部住宅地の造成および擁壁の築造を完成した(B擁壁前面に設置を計画した擁壁は築造されていない)ことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

原告らは兵庫県知事が被告竹安に対しその工事中にB擁壁に水抜穴を設け、強度を改善するよう勧告し、命令すべきであつたと主張する。しかし前記認定のとおり、兵庫県の係員は擁壁工事について被告竹安に種々の指示をし、特にB擁壁の高さを計画よりも低くしてパラペット、芝張り斜面を設け、その前面にこれを補強するための鉄筋コンクリート擁壁の築造を指示しているのであり、これらの指示が災害防止のため適切なものであつたことは鑑定の結果により明白であつて、兵庫県知事が原告ら主張のような勧告をしなかつたことが明らかに不当であつたとはいいがたい。また、一の3の事実により明らかなようにB擁壁は災害防止上完全なものとはいえないけれども、被告竹安が前記宅地造成工事を終えた当時、B擁壁がきわめて不完全であつてこれを放置すると災害の発生するおそれが著しい状態にあつたと認めるに足りる証拠はなく(擁壁の崩壊したのがその完成後四年半近くを経た集中豪雨の際であつた事実からすると、当時そのような状態にあつたとみるのは困難である)、したがつてB擁壁についても宅造法一六条の改善命令を発する要件を具備していたとはいいえないから、兵庫県知事がその改善命令を発しなかつたことを非難するのは当らない。

のみならず、宅造法は宅地造成に伴う崖崩れ等による災害を防止するため必要な規制を行なうことによつて国民の生命、財産の保護を図ることを目的とする(同法一条)から、同法一五条の勧告、一六条の命令を発する権限もこの目的に沿うよう適時適切に行使しなければならないのであるが、右法条の文言によつても明らかなとおり、その行使は知事の合理的判断に基く自由裁量に委ねられているのである。したがつて改善の勧告ないし命令を発しうる法律上の要件が具備されたからといつて、知事の改善勧告ないし命令権の不行使が常に違法となるものではなく、その自由裁量が著しく合理性を欠くと考えられるとき、はじめて違法となるのである(行政執行法による代執行についても同様である)。そして被告竹安の宅地造成工事中、兵庫県知事が原告ら主張の改善の勧告、命令を発しなかつたことが、著しく合理性を欠くとは認めがたい。

そこで進んで宅地造成工事終了後の改善命令について検討する。<証拠>によると、原告郡、その妻雅子、A擁壁西側の居住者許斐操子らは昭和四〇年五、六月頃B擁壁南端のC擁壁との継目のところに縦にかなりの長さで亀裂が生じ、その裂け目が口を開いている(その隙き間は、被告竹安が主張するように人の腕がはいる程の大きさというのは表現がいささかおおげさにすぎようが、少くとも二、三センチメートルはある)のを発見して不安を感じ、その頃雅子が西宮土木出張所に赴いて善処方を要請したところ、その翌日右出張所の職員二、三名が現場に来て亀裂の状況等を写真撮影したこと、その頃原告郡、同金子らは被告竹安を呼んで右亀裂を見せ、その補修方を求めたが、同被告は修繕する費用がないとしてこれを拒否したこと、同年九月頃にはB擁壁の南の端から北の端まで横に長く亀裂が生じたので、雅子はその頃再び西宮土木出張所に赴きこれを告げて前と同様の要請をしたが、なんらの措置もとられなかつたこと、B擁壁と下部住宅地上の原告郡および早水重雄の各家屋との間隔は僅か一、二メートルにすぎなかつたことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

右認定の事実と前記一の1、3に摘示したB擁壁の構造、四囲の状況および上部住宅地崩壊の原因、右に記した兵庫県係員の現地調査の経過、B擁壁を補強する擁壁が結局築造されなかつた事実並びに鑑定の結果に徴すると、遅とも本件事故発生当時には、B擁壁はきわめて不完全な状態にあり、これを放置するときは崩壊するおそれが著しく、もし崩壊すれば下部住宅地の家屋のみならず、その居住者の生命にも危害が及ぶ危険のあること明らかであつて、前記宅造法の趣旨目的に照らすと、その状態はまさにB擁壁につきその所有者らに対し同法一六条所定の改善命令を発し、行政代執行法による代執行の措置によつてでもその命令の実効を期し、危険を除去すべき場合に当るとみるのが相当であり、兵庫県知事がこれをしなかつたのは著しく合理性を欠き、違法であるというべきである。

もつとも右の場合B擁壁の改善を、その所有者、占有者である原告金子、同安福に命ずるか、災害発生の危険性を生ぜしめた者として被告竹安に命ずるかは、兵庫県知事が諸般の事情を具体的に考慮してその裁量により決すべき事柄であり、B擁壁崩壊の一因が右原告らにあることなどこれまでに述べた事実からすると、被告竹安に命じなければ著しく不合理であるというものではない。そして原告金子は前叙のとおり亀裂が発見される以前からB擁壁を所有、占有していたのであり、しかもその亀裂の発生を知つていたことは右原告両名の本人尋問の結果により明らかであつて、右原告らはB擁壁の崩壊によつて他人に損害を生じさせないようこれを安全な状態に保持すべく(宅造法一五条)、自ら進んでB擁壁の補修をすべきであつたのである。したがつて原告金子、同今福は兵庫県知事が被告竹安に対しB擁壁の改善を命じなかつたからといつて、その責任を追及することはできないといわなければならない(なお原告北園がB擁壁を占有していたことを認めるに足りる証拠はない)。

ところで被告県は兵庫県知事が行政法上の作為義務を怠つても、その作為が特定個人に対する関係でなすべきことを法規上命ぜられている場合でなければ、不法行為の責任を負わないから、本件については損害賠償義務がないと主張する。しかし知事の発する改善命令は宅地造成に伴う崖崩れなどの災害より住民の生命財産を護ろうとするものであるから、兵庫県知事が改善命令を発せず、その執行をしないことが違法であつて、これがため、被告竹安の不安全な擁壁の築造等と相俟つて、人の生命財産に危害が生じたときは、その損害賠償責任の問題が生ずるものであり、この問題については兵庫県知事が被害者に対し作為義務を負つていたか否かは問うところでない。

4  次に原告らは兵庫県知事が行政指導の程度を超え、その責任において被告竹安の宅地造成工事に積極的に関与したから、条理上、宅造法所定の監督および検査をすべき義務があると主張するが、兵庫県知事がそのような関与をしたことを認めるに足りる証拠もなく、右主張は独自の見解であつて、採用できない。

5  次に原告らの建築基準法に関する主張について検討する。

擁壁工事を含む上部住宅地造成工事について兵庫県知事の許可を要せず、かつ、右擁壁の高さが二メートルを超えることは前叙のとおりであるから、右擁壁については建築基準法が適用されることになる。したがつて被告竹安は右擁壁工事の着手前にそれが法令に適合するものであることにつき建築主事を受けなければならないところ、その確認を受けていないことは被告県との間で争いがないから、兵庫県知事(擁壁築造当時西宮市に建築主事が置かれていなかつたことは被告県との間で争いがないから、兵庫県知事が建築基準法上特定行政庁としての権限を有することになる)は被告竹安に対しその施工の停止を命ずることができたのであるが、前叙のとおり、兵庫県の係員が昭和三七年六月七、八日の基礎コンクリート打ち工事を発見し、その際右擁壁工事を含む宅地造成工事の届出をするよう被告竹安に指示したこと、同被告がこれに応じて同年七月届出をしたが、届出書添付の設計図では右擁壁に法令違反の点がなかつたことなどを考えると、兵庫県知事が確認義務違反を理由として施工停止を命ずる措置をとらなかつたことが違法であるとはいいがたい。

次に被告竹安は擁壁工事を完了した場合四日以内にその旨を建築主事に届け出なければならず、建築主事は届出を受けた場合その擁壁が法令に適合するか否かを検査しなければならないが、被告竹安よりその届出がなかつたことは被告県との間で争いがないから、建築主事に検査を怠つた違法はない。

さらに被告竹安には擁壁工事完了の届出をしなかつた点、B擁壁に水穴をほとんど設けていない点等で、建築基準法、同施行令の違反があるから、兵庫県知事は同法九条の命令を発することができるのであるが、これを命ずるか否かは知事の自由裁量によるものであつて、宅造法上の改善命令について述べたと同一の理由により、少くともB擁壁に亀裂が生ずるまでは、その命令を発しなかつたことが著しく合理性を欠くものとは断定しがたく、その後兵庫県知事において擁壁の改善を命じこれを実施する措置をとらないことが著しく合理性を欠くに至つたとしても、被告金子、同安福は、先に述べたと同様、被告竹安に対しこれを命じなかつたことが違法であるとして兵庫県知事の不法行為についての責任を問うことはできないと解すべきである。

6  被告県は、兵庫県知事がB擁壁の所有者らにその改善を命令してこれを実施させ、あるいは代執行によりこれを施行しても、本件事故当日の豪雨により擁壁の崩壊は免れることができなかつたであろうから、兵庫県知事の不作為と本件事故の発生との間には因果関係がないと主張する。しかしその理由のないことは前記二の2の説示により明らかであろう。

7  そして前記四の3に摘示したところによれば、兵庫県知事は防災事務の担当者として、本件事故当時、B擁壁がその所有者らに改善を命令してこれを実施させ、命令に応じないときは代執行の措置をとらなければならない危険な状態にあり、かかる処置を行なわなければ近隣居住者の生命財産に損害が生ずるであろうことを知りえたものというべきである。

五損害について

1  原告早水花江、同早水典孝の損害について

(一)  <証拠>によると、訴外早水重雄と原告早水花江は夫婦であり、原告早水典孝、訴外早水紅美子、同紀美子、同美栄子はいずれも右夫婦の子であること、右訴外人四名は本件事故当日の午後八時頃前記のとおり訴外早水重雄の家屋が倒壊した際その下敷となり、同日その場所で死亡したことが認められるが、その死亡の先後を明らかにする証拠はない。したがつて右訴外人四名は同時に死亡したものと推定され(民法三二条ノ二)、訴外早水重雄の損害賠償債権は原告早水花江が三分の一、原告早水典孝が三分の二の割合で相続し、その余の訴外人三名の損害賠償債権は全て原告早水花江が相続したことになる。

(二)  まず訴外早水重雄の損害について考える。

(1) <証拠>によると、早水重雄は事故当時四一歳(大正一四年一一月一四日生)の健康な男子であつて、昭和四一年一一月二日株社会社三芝塗装工業所に事務職員として入所勤務し、事故当時月額平均六万五、四八一円の収入を得ていたことが認められる。そして厚生省第一一回生命表によると、四一歳男子の平均余命は30.13年であり、原告早水花江本人尋問の結果(第一回)および弁論の全趣旨によると早水重雄は六三歳までなお二二年間稼働し得たであろうこと、その生活費は収入の四割であると認めるのが相当であるから、これら資料に基づいて二二年間の逸失利益の事故当時の現価をホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、その係数は14.58であるので、六八七万三、九三三円となる。

(65,481×12)×(1−O.4)×14.58

=6,873,933

(2) 亡早水重雄の慰藉料

原告早水花江、同早水典孝は亡重雄の慰藉料請求権を相続した旨主張しているが、当裁判所は右請求権が一身専属的な請求権であつて直ちに相続の対象となるものではないと解するので、右主張はそれ自体失当である。

(3) 亡早水重雄の物的損害 三六八万七、〇〇〇円

(ア) 家屋の滅失による損害一〇五万円

亡重雄が昭和三〇年六月頃建築した家屋が本件事故によつて全壊したことは前叙のとおりである。そして<証拠>によると、その家屋は木造瓦葺二階建居宅(建坪延二五坪五合二勺)一棟であり、建築代金は約一二〇万円(水道、ガス等設備工事代を含む)であつたことが認められ、これに建築から倒壊までの一二年間における建築費の上昇(経済企画庁発表の東京小売物価指数((同庁調査局経済要覧))および労働省発表の産業別常用労働者賃金指数((労働大臣官房労働統計調査部編労働要覧))によると、建材家具の東京小売物価指数および建設業常用労働者賃金指数は昭和四〇年を一〇〇とすると昭和三〇年は75.0および36.9、昭和四二年は107.0および119.6となつているので、右期間中に建材および賃金はそれぞれ1.4倍、3.2倍値上りしていることになり、いま建築費が1.6倍値上りしたものとして右家屋の昭和四二年当時の新築価額を試算すると一九二万円となる)、家屋の価値の減少(減価償却資産の耐用年数等に関する省令によると木造住宅の耐用年数は二四年、残存価額は取得価額の一割となつており、試みに同令に基き取得価額を一九二万円として定額法により一二年間の減価償却をすると現在価額は

約一〇五万円となる)をあわせ考えると、右家屋の崩壊時における価額は一〇五万円と認めるのが相当である。したがつて亡重雄は同額の損害を蒙つたことになる。

(イ) 動産の滅失、毀損による損害 一一九万七、〇〇〇円

<証拠>を総合すると、亡重雄所有の別紙動産目録(1)記載の各動産総額一一九万七、〇〇〇円が本件事故により滅失し、亡重雄において同額の損害を蒙つた事実が認められる。

(ウ) 土地の価値減少による損害 一四四万円

前記三の1の(一)に摘示した上部住宅地の売買価額、<証拠>によると、前記家屋の敷地は本件事故当時亡重雄の所有者であつてその面積が三六坪であつたこと、右土地の当時の価額は坪当り六万円(総額二一六万円)であつたこと、右土地は上部住宅地からの土砂の流出等のため再び宅地として使用することが困難となつたので、原告早水花江、同早水典孝はやむなくこれを本件事故後に被告県に坪当り二万円計七二万円で売却したこと、被告県はその土地を緑地帯に造成していることが認みられ、これら事情から判断すると、右土地の価額は本件事故により二一六万円から七二万円に下落し、したがつて亡重雄は一四四万円の損害を蒙つたものというべきである。そうする亡早水重雄の損害は合計一、〇五六万〇、九三三円である。

(三)  亡早水紅美子、同紀美子、同美智子の慰藉料については、前述(二)の(2)と同一の理由により原告早水花江の相続は認められない。

(四)  原告早水花江自身の損害について考える。

(1) 慰藉料 三〇〇万円

<証拠>によると、同原告は本件事故により右眼球が挫滅してその視力を全く喪つてしまつたうえ、顔面挫創、左側鎖骨々折、全身打撲傷等の傷害を蒙つて現在も腰痛があり、右顔面に傷跡を残こしていることが認められ、本件事故により夫と三人の子を一時に失つた事実その他本件に顕われた諸般の事情をも斟酌すると、同原告の精神的苦痛は三〇〇万円を以て慰藉するを相当とする。

(2) 治療費 一七万七、八五五円

<証拠>を総合すると、同原告はその主張のとおり右傷害治療のために総計一七万七、八五五円の治療費、看護料を支出したことが認められるので、同原告は同額の損害を蒙つたことになる。

(3) 葬儀費用(回向料を含む)三〇万円

<証拠>によると、同原告は夫および三名の実子の葬儀費用として回向料一〇万円を含めて三〇万円の支出をしたことが認められ、その支出は右四名の葬儀費用として相当の額と考えられるので、三〇万円全額を右原告の蒙つた損害と認める。そうすると原告早水花江自身の蒙つた損害額は合計三四七万七、八五五円となる。

(五)  原告早水典孝自身の損害について考える。

(1) 慰藉料 五〇万円

<証拠>によると、原告早水典孝は本件事故により一か月間の安静治療を要する四肢打撲擦過傷等の傷害をうけたことが認められ、そのうち一時に父と三人の姉妹を失い、母も前記傷害を受けたことなど諸般の事情を勘案すると、その精神的苦痛を慰藉するには五〇万円を以て相当と考える。

(2) 治療費 八、九二〇円

<証拠>を総合すると、原告早水典孝は前記傷害の治療を受け、その治療費八、九二〇円の支出を要したことが認められる。そうすると原告早水典孝自身の蒙つた損害は五〇万八、九二〇円となる。

(六)  結局原告早水花江の損害総額は六九九万八、一六六円、原告早水典孝の損害総額は七五四万九、五四二円ということになる。

2  原告郡償次郎の損害について

(一)  物的損害 三四三万九、七〇〇円

(ア) 家屋の滅失による損害 六六万円

原告郡が昭和二九年一二月頃建築した家屋が本件事故によつて全壊したことは前叙のとおりである。そして<証拠>を総合すると、その家屋は本造瓦葺平家建居宅(建坪四合九勺)一棟であり、建築代金は電気、水道、建具、風呂等の施設費を含め八五万円であつたことが認められ、これに建築から倒壊までの一三年間の建築費の上昇、家屋の価値の減少(前記同様の方法により昭和四二年当時の価額を試算すると約六六万円となる)をあわせ考えると、右家屋の本件事故当時における価額は六六万円と認めるのが相当である。そうすると原告郡は同額の損害を蒙つたことになる。

(イ) 土地の価値減少による損害二一六万円

<証拠>によると、原告郡は前記家屋の敷地として西宮市五月ケ丘一九番地の三宅地四二坪を所有していたことが認められ、また被告竹安がB、C擁壁を築造した際その擁壁と右宅地との間に生じた空地一二坪を同被告から買受けその所有権を取得していたことは前叙のとおりであるから、結局原告郡は本件事故当時宅地五四坪を所有していたことになる。そして前記1の(二)の(3)の(ウ)の事実および<証拠>によると、原告郡所有の右土地の価額は本件事故直前には坪当り六万円(総額三二四万円)であつたが、本件事故により原告早水両名につき述べたと同じ理由で坪当り二万円総額一〇八万円に下落したことが認められるから、原告郡はその差額二一六万円だけの土地の価値減少による損害を蒙つたものというべきである。

(ウ) 動産の滅失、毀損による損害 六一万九、七〇〇円

<証拠>によると、本件事故により同原告所有の別紙動産目録(2)に記載の各物品(合計六一万九、七〇〇円)が滅失し、あるいは毀損して使用に耐えなくなつたことが認められる。したがつて原告郡は同額の損害を蒙つたことになる。

(二)  慰藉料 一〇万円

<証拠>によると、同原告は本件事故により七日間の安静加療を要する左大腿部打撲の傷害を受け、自己の住居は全壊し、ために家族の生活につきかなりの心労を要したことが認められるので、これらの事情から判断して、その精神的苦痛を慰藉するには一〇万円を以て相当といえる。そうすると原告郡の蒙つた損害額は合計三五三万九、七〇〇円となる。

3  原告金子の損害について

(一)  物的損害 三四五円

(1) 家屋の宙吊りによる損害一七五万円

原告金子が昭和三九年一二月頃建築した家屋が本件事故によつて宙吊りなつたことは前叙のとおりであり、<証拠>によれば、右右家屋は木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建居宅(一階18.50平方メートル、二階25.84平方メートル)一棟であること、その建築費並びに電気、ガス等の設備費に合計一八〇万円を要したこと、本件事故により右家屋は敷地の西側約半分の土砂が下部住宅地に流出し、土台がえぐりとられた形となつたため、下部に転落する危険性が生じ、危険防止上、被告県においてワイヤロープで家屋をつなぎ止め、同原告において周りの土砂が更に流出しないよう浜名建設工業株式会社からテントを賃借して地面を覆うなどの手当をなしたこと、しかし、何時までもそのままの状態にしておくのは下方居住者の安全確保上好ましくないので、兵庫県知事からの勧告もあり、結局同原告は取毀費用の支払いに代えて、取毀した建材を譲渡する約定で右会社に家屋の取毀を依頼し、事故後一か月してこれを取毀し収去したことが認められる。右事実および家屋の建築から本件事故の発生まで三年間の建築費の上昇(前記発表によると昭和三九年の建材家具の東京小売物価指数は99.8、建設業常用労務者賃金指数は89.7であるから、右期間に前者は1.07倍、後者は1.33倍上昇したことになり、いま建築費が1.1倍値上りしたものとして右家屋の事故当時の新築価額を計算すると一九八万円となる)、家屋の価値の減少(前と同じ方法で減価償却すると現在価額は約一七五万円となる)をあわせ考えると右家屋の本件事故当時の価額は一七五万円と認めるのが相当である。したがつて原告金子は同額の損害を蒙つたことになる。

(2) 離れの落下、全壊による損害 一五万円

<証拠>によると、原告金子は右敷地上に昭和四〇年五月頃一八万円で六畳一間のプレハブ住宅を建築所有していたところ、本件事故により右建物が敷地の土砂とともに下部住宅地に転落毀滅した事実が認められる。右事実と建築から本件事故まで二年間における建築費の上昇、建物の価値の減少(前記省令の定める簡易建物の耐用年数一〇年によつて、(1)の家屋と同じように試算すると、現在価額は約一五万円となる)を総合すると、本件事故当時の価額は一五万円と認めるのが相当であり、原告金子は同額の損害を蒙つたというべきである。

(3) 土地決壊による損害 一五〇万円

右(1)(2)の建物敷地の事故後の状況は前述のとおりであつて、<証拠>によると、右土地はその後も更に崩壊の危険性が認められ、右防止のためには多額の工事費を要するため原告金子は原告北園、同安福らと共に上部住宅地の所有権をそれぞれ放棄することとし、その旨の書面を近畿財務局宛に送達したこと、ところが同局は右原告らの放棄を許しては国が費用を投じて右土地を管理保全する義務を負わねばならないことになるとして右放棄を認めぬ旨右原告らに通告し、種々交渉の末、結局西宮市が右原告らからその土地を無条件で寄付採納を受けることとなり、そのとおり実行されたこと、また現在では上部住宅地は防災工事が施されたうえ緑地となつていることが認められ、これらの事情を総合すると、原告金子の土地は原告北園、同安福らの土地同様本件事故によりその取引価値を失つたものというべきである。

そして前記1の(二)の(3)の(ウ)の事実、並びに<証拠>によると、原告金子の右土地の価額は事故発生当時坪当り六万円であり、その地積は二五坪であつたことが認められるので、原告金子の土地喪失による損害額は一五〇万円ということになる。

(4) キヤンバス設置並びに借用代 五万円

原告金子が本件事故後右土地が更に崩壊することのないようこれを浜名建設工業株式会社から賃借したキヤンバスで覆つたことは前記のとおりであり、また<証拠>によると、同原告は右キヤンバスの賃借料五万円を右会社に支払つたことが認められるので、原告金子は本件事故により右五万円の損害を蒙つたというべきである。

(二)  慰藉料 七万円

本件事故の態様等から判断して原告金子の精神的苦痛を慰藉するには七万円を以て相当とする。

そうすると原告金子の蒙つた損害総額は三五二万円となる。

4  原告安福の損害について

(一)  物的損害 三一〇万円

(1) 家屋の宙吊りによる損害一六〇万円

原告安福が昭和四一年七月頃建築した家屋が本件事故によつて宙吊りとなつたことは前叙のとおりであり、<証拠>および前記3の(一)の(1)の事実を総合すると、右家屋は木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建居宅(床面積一階33.12平方メートル 二階20.70平方メートル)一棟であり、建築費は一六〇万円であつたこと、本件事故により右家屋とその敷地が前述の原告金子のそれと同一状態になり、家屋が下方に転落する危険性が生じたため、事故後一か月位して家屋を解体し、避難先の岸和田に残材を運搬し、その費用として七万円を要したが、その後これを他に右費用とほぼ同額の七万円で売却したことが認められる。右事実と右家屋の建築から本件事故までの一年間における建築費の上昇(前記発表によると昭和四一年の建材家具の東京小売物価指数および賃金指数はそれぞれ102.6、108.6であるから、その後一年間にそれぞれ1.04倍、1.10倍上昇したことになる)、家屋の価値の減少をあわせ考えると、右家屋の本件事故当時の価額は前記建築費と同額の一六〇万円と認めるのが相当であり、原告安福は同額の損害を蒙つたというべきである。

(2) 土地決壊による損害 一五〇万円

<証拠>並びに前記3の(一)の(3)の事実を総合すると、本件事故により右家屋の敷地はその取引価値を失つたこと、右土地の面積は二五坪で、本件事故当時の価額は坪当り六万円であることが認められるので、原告安福の損害額は一五〇万円である。

(二)  慰藉料 七万円

本件事故の態様等から判断して原告安福の精神的苦痛を慰藉するには七万円を以て相当する。

そうすると原告安福の蒙つた損害総額は三一七万円となる。

5  原告北園の損害について

(一)  物的損害 五〇四万円

(1) 家屋の宙吊りによる損害一五〇万円

原告北園が昭和三八年七月頃建築した家屋が本件事故によつて宙吊りになつたことは前叙のとおりであり、<証拠>を総合すると、右家屋は木造瓦葺平家建居宅(床面積20.37メートル)一棟であり、その建築費は一六〇万円であつたこと、本件事故により右家屋とその敷地が前述の原告金子のそれと同様(但し土地流出部分は敷地全体の三分の一)の状態となり、右家屋につき下方に転落の危険が生じたため、昭和四二年七月一三日頃土建業橋本惣一郎からテントを賃借して庭の面を覆い、またワイヤロープで家屋をつなぎ止めるなどしたものの、兵庫県知事からの勧告もあり、結局、第二次災害の防止上やむを得ず向陽建設株式会社に依頼して家屋を収去しかつ敷地部分の石垣を補修したことが認められる。右事実と家屋の建築から本件事故発生までの四年間における建築費の上昇(前記発表による昭和三八年の建材家具の東京小売物価指数は98.9、建設業常用労働者の賃金指数は70.2であるから、右期間に前者は1.08倍、後者は1.7倍上昇したことになり、いま建築費が1.1倍値上りしたものとして右家屋の新築価額を計算すると一七六万円となる)、家屋の価値の減少(前と同じ方法で減価償却すると現在価額は約一五〇万円となる)をあわせ考えると、右家屋の本件事故当時の価額は一五〇万円と認めるのが相当である。

(2) 家屋撤去石垣補修工事費四五万円

前記(1)の事実並びに<証拠>によると同原告は前記の如く本件事故により右家屋の撤去並びに石垣の補修を余儀なくされ、これを施工した向陽建設株式会社にその費用として四五万円を支払つた(当初その費用は四八万八、〇〇〇円と見積られたが、右会社が解体材を取得することになり、結局四五万円で決済された)ことが認められる。

(3) 土地決壊による損害 三〇六万円

前記認定の本件事故後の右家屋の敷地の状況、前記3の(一)の(1)の事実並びに<証拠>によると、右宅地は前記の如く石垣補修後も崩落の危険があり、原告金子の場合と同じ事情から西宮市に無償で寄付採納されたこと、右土地の事故当時の価額は坪当り六万円であり、その地積は五一坪であつたことが認められるので、結局原告北園は本件事故により土地の価値喪失により三〇六万円の損害を蒙つたことになる。

(4) キヤンバス設置代 三万円

前記(1)の事実および<証拠>によると、原告は前記(1)のテントの賃料として三万円を橋本惣一郎に支払つたことが認められるが、その余の支出を認める証拠はないので、同額の損害が生じたことになる。

(二)  慰藉料 七万円

本件事故の態様等から考えて、原告北園の精神的苦痛を慰藉するには七万円を以て相当と考える。

そうすると原告北園の蒙つた損害総額は五一一万円となる。

六過失相殺について

1  以上によれば、被告竹安は原告ら全員に対し、被告県は原告早水花江、同早水典孝、同郡、同北園に対し損害を賠償する義務がある。そこで右被告らの過失相殺の主張について判断する。

(一)  原告金子、同安福の過失についてはすでに述べたところである。

(二)  原告北園が本件事故当時その敷地の北西部の石積擁壁に沿つてC擁壁上の帯状の土地の上にコンクリートの添え木をたて、これに家屋の庇をのせており、右柱の所在部分にかなりの圧力がかかつていたことは前叙のとおりであるところ、<証拠>によると、右施設が本件事故の発生、特に同原告の敷地が崩壊する一因をなしていること、同原告は右施設を昭和三八年に設けたが、昭和四〇年六月頃B、C擁壁の継ぎ目に亀裂が生じたことを知りながら右施設を放置したことが認められるから、原告北園は宅地保全について配慮すべき注意義務を怠つたものといわなければならない。

(三)  次に被告竹安は下部住宅居住者がB擁壁の亀裂の手当を怠つた点に過失があり、被告県は下部住宅居住者が原告金子、同安福に右亀裂の補修を要求しなかつた点に過失がある旨主張する。しかし下部住宅居住者は右擁壁の所有者でも占有者でもないのであり、<証拠>によれば、原告郡は昭和四〇年五、六月頃前記亀裂が生じていることを知り、直ちに擁壁所有者である原告金子にこれを知らせ、同原告とともに被告竹安にその補修を要求し、また妻雅子をして二回にわたり西宮土木出張所にこれを知らせて善処を求めたこと、原告金子は右亀裂が生じていることを擁壁所有者である原告安福に知らせたことが認められるのであり、以上の事実からすると、下部住宅居住者が原告金子、同安福に亀裂の補修を強く求めなかつたことは、損害賠償額の算定に当り考慮する必要はない。

さらに被告竹安は訴外早水重雄、原告早水両名が本件事故発生前原告郡より危険であるから避難するよう告げられていたのに避難しなかつた点に落度があると主張する。しかし原告郡がそのようなことを告げた事実を認めるに足りる証拠はなく(<証拠>によると原告郡も自己の家屋が突然倒壊しその下敷になつて気を失つたことが認められる)、<証拠>によれば、本件事故の発生したのは豪雨の夜八時頃であつて、早水重雄の一家がその家屋で食事中、突如上部住宅地の土砂が崩壊し、右家屋が倒壊したことが認められるのであり、早水一家が他所に避難していなかつた点を損害拡大の一因として責めるのは酷である。

2  そうすると原告金子、同安福、同北園についてはその損害賠償額が減額されることになるが、その減額率は過失の程度等を考慮して右原告らにつき順次三割、二割、一割とするのが相当である。

七  結論

されば被告竹安、同県は各自原告早水花江に対し六九九万八、一六六円、原告早水典孝に対し七五四万九、五四二円および前者のうち一七万七、八五五円、後者のうち八、九二〇円については本件不法行為の後である昭和四六年一二月一日以降、その余の金員については被告竹安は訴状送達の日の翌日である昭和四二年九月二五日から、被告県は同じく昭和四二年九月二四日から各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、原告郡に対し三五三万九、七〇〇円およびこれに対する本件不法行為後の昭和四二年一二月七日から完済まで右同率の遅延損害金を、原告北園に対し四五九万九、〇〇〇円およびこれに対する昭和四二年一二月七日から完済まで右同率の遅延損害金を支払う義務があり、被告竹安は原告金子に対し二四六万四、〇〇〇円、原告安福に対し二五三万六、〇〇〇円およびこれらに対する昭和四二年一二月七日から完済まで右同率の遅延損害金を支払う義務がある。

よつて原告ら全員の被告竹安に対する請求、原告早水花江、同早水典孝、同郡、同北園の被告県に対する請求は右限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却し、原告ら全員の被告小谷に対する請求並びに原告金子、同安福の被告県に対する請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言およびその免脱の宣言につき同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(石川恭 飯原一乗 弓木龍美)

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